まぶたの病気眼瞼下垂の患者と家族を支援している
NPO法人眼瞼下垂の会 代表のおーばこと 大場美津子です。
常日頃から「眼瞼下垂」というワードにアンテナを張りめくらせていますが
こんな「2ちゃんねる、まとめ記事」を見つけました。
眼瞼下垂って人生積んでるよな
本文中に「眼瞼下垂の会」が出てきます。このスレッド主さんから ブログのコメントをいただいたこともあります。そしてYahoo!知恵袋などでも同様の相談をされていたのを拝見したこともあります。
通常 ブログでは個人的な問題についての回答は書かないようにしています。しかしながら彼のことは気になっていましたし、このまとめ記事はすでに不特定多数の人の目に触れているので、この件について 眼瞼下垂の会の代表としての考えを 書いてみることにいたしました。
以下は まとめ記事をお読みいただいたことを前提で書きます。
スレ主さんも書いていました
『眼瞼下垂の会って所に質問したら親との関係で悩んでいる人は多いっぽいね
眼瞼下垂の手術を巡って』
最近はそれほど多くはないのですが。。。
2003年に眼瞼下垂のサイトをたちあげたのをきっかけに、眼瞼下垂の当事者さんからメールをいただくようになりました。このころの当事者さんの多くは、確かに「親との関係」で苦悩していたように思います。
「手術したいけど、親が反対する」
「まぶたのことを話そうとするだけで親がキレる」
あげく「こんなまぶたに産んだ親を一生恨む」と
という相談を、かつてはずいぶん受けてきました。
わたし自身も眼瞼下垂の子を持つ母ですから
「まずい!うちの子が10年経った時に きっとわたしも恨まれる!」って思いました。
そうならないようにするにはどうしたらいいの?って切実に思いました。・・・
だから
この問題は、わたしの活動の原点のひとつなのです。
もちろん、簡単に答えを出せるような問題じゃあありません。
何年も答えの無い旅で行きつ戻りつしていましたが
わたしなりの結論は「親への支援」でした。
眼瞼下垂の赤ちゃんが生まれたら、まずはちゃんと診断して、それを親にも説明すること。
これは医療や母子福祉の現場の人の役割になります
親は多少なりともショックを受けるし「自責の念」に駆られたり、神を呪ったり、抑鬱的になったりしながらも時間をかけてわが子の現状を受容していきます。その過程のどこかを阻害されると、正しく受容できないとおもうんです。
もう一つ大切なのは 親自身(特に母親)が孤立してしまわないようにすること。
一昔前までは、生まれた子になにかモンダイがあると「母親のせい」って言われるのが普通でした。母をサポートするどころか親戚や近所から責められるってことも頻繁にあったでしょうから。
だとしたら母親は「この子は自分たちでしか守ってあげることができない」って思い込んでしまい、わが子が自立する年代になってもなお自分の保護の元に置かないと不安でしょうがないのかもしれない。
スレ主さんのご両親にお子さんが小さい時にちゃんと眼瞼下垂と向き合う「機会」があったなら、彼は自分のまぶたを手術するためにこんなに苦労しないで済んだかもしれません。つくづく正しい知識とその理解って大切だと思うし、自分の悩みを共有できる仲間の存在は必要です。この辺りは患者会の役割だと思っています。
もちろんこれは推測の域を出ない話です。
そうじゃない可能性も大きい。
私の仮説が合っているとしても、だからといって母親にも18年間の積み重ねがありますから、本当に難しい。あとは スレ主さん次第だと思うんです。
患者会を作った時、この病気で悲しい思いをする人をゼロにしたいと思っていました。それは思い上がりだったことを 今、思い知っています。
思うだけでは一歩も進まないので、ちょっとずつ形になることをしていきます。
☆本日2月2日、20時〜NHK Eテレ「ハートネットTV」の宣伝と
★3月8日 東京の講演会にたくさんの人に来ていただくこと
NPO会員さんが増えると、自分の近所でも交流会ができるかもしれません。できることも増えるので、あなたも会員になってみませんか?
2015年02月02日
2013年08月03日
当事者が伝えたい、親への思い。
まぶたの病気、眼瞼下垂の患者・家族を支援しているおーばです。
今回は、「親と子の問題」というカテゴリで
先天疾患をどのように伝えてゆくかについて 思ったことを書きます。
先日、「先天性の病気の親をどのように援助するか」という観点で
ネットで調べた時に見つけた記事です。
日付を見ると今から11年前のものでした。
記事を書いたのは、ご自身が先天性心疾患をお持ちの方で、
同じような境遇のかたを支援する活動をしていらっしゃる様子がうかがえます。
先天性疾患の中でも 心疾患というのは 当事者にも家族にも重大な病気です。
先天性心疾患児の親への援助についてはかなり多くの研究がなされ
その成果も発表されているのですが、
今回のように 当事者自身のことばで親に対してその思いを表しているものは
非常に珍しいと感じました。
「心疾患児を育てる親御さんへ」
親の立場でこれを読むと 耳が痛いというか、きついというか
考えを改めなくてはならないなあと、感じされられるわけです。
同じことは 先日もこのブログで紹介したUstream番組「ヒロコヴィッチの穴」
でも感じました。
当事者の声は辛辣です。
親として 感謝されたいと思っているわけではないけれど
でも 親なりに一生懸命かんがえて行動しているわけで
それを否定されるのは やっぱりつらいものです。
でも、一生をこの病気と付き合ってゆくのは やっぱり本人ですよね。
当事者の気持ちを全部丸ごと理解しようとしても、それは無理。
一節だけ引用させていただきます。
私は、この言葉に深く同意します。
どのような内容であれ、本人が知らなくてよいこと なんてない。
幼くっても 幼いなりに本当にことを説明すれば 納得できる。
本人を納得させるためには 親だって知識がないといけません。
自分自身で調べること わからないことを医師に確認すること、大切です。
理屈では分かっていても 私も日々失敗を重ねながらの子育てであります。
親は、わが子の成長を邪魔する「壁」であってはいけない。
心がけながら こどもと一緒に成長してゆきたいものです。
今日も、お読みいただきありがとうございます。
「NPO法人眼瞼下垂の会」のホームページも合わせてご覧ください。NPO法人眼瞼下垂の会では会員を募集しています。
Facebookにてfacebookページ「眼瞼下垂の会」を開いています。
mixiページ「眼瞼下垂の会」をスタートしました。
(Facebook/mixiのアカウントを持っていなくても、リンク先のページを見ることが出来ます。)
今回は、「親と子の問題」というカテゴリで
先天疾患をどのように伝えてゆくかについて 思ったことを書きます。
先日、「先天性の病気の親をどのように援助するか」という観点で
ネットで調べた時に見つけた記事です。
日付を見ると今から11年前のものでした。
記事を書いたのは、ご自身が先天性心疾患をお持ちの方で、
同じような境遇のかたを支援する活動をしていらっしゃる様子がうかがえます。
先天性疾患の中でも 心疾患というのは 当事者にも家族にも重大な病気です。
先天性心疾患児の親への援助についてはかなり多くの研究がなされ
その成果も発表されているのですが、
今回のように 当事者自身のことばで親に対してその思いを表しているものは
非常に珍しいと感じました。
「心疾患児を育てる親御さんへ」
親の立場でこれを読むと 耳が痛いというか、きついというか
考えを改めなくてはならないなあと、感じされられるわけです。
同じことは 先日もこのブログで紹介したUstream番組「ヒロコヴィッチの穴」
でも感じました。
当事者の声は辛辣です。
親として 感謝されたいと思っているわけではないけれど
でも 親なりに一生懸命かんがえて行動しているわけで
それを否定されるのは やっぱりつらいものです。
でも、一生をこの病気と付き合ってゆくのは やっぱり本人ですよね。
当事者の気持ちを全部丸ごと理解しようとしても、それは無理。
一節だけ引用させていただきます。
どんなに病気が軽くても、また重くても、自分の病気を知ることは当然のことです。
知らないほうが良いなんてことは、たぶんないと思います。
私は、この言葉に深く同意します。
どのような内容であれ、本人が知らなくてよいこと なんてない。
幼くっても 幼いなりに本当にことを説明すれば 納得できる。
本人を納得させるためには 親だって知識がないといけません。
自分自身で調べること わからないことを医師に確認すること、大切です。
理屈では分かっていても 私も日々失敗を重ねながらの子育てであります。
親は、わが子の成長を邪魔する「壁」であってはいけない。
心がけながら こどもと一緒に成長してゆきたいものです。
今日も、お読みいただきありがとうございます。
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2013年07月22日
【ご意見募集!】眼瞼下垂・親と子のコミュニケーション
まぶたの病気、眼瞼下垂の患者と家族を支援している、おーばです。
今回は「親と子の問題」というカテゴリから
親と子のコミュニケーションのことについて書きます。
眼瞼下垂で一番つらいのは、もちろん当事者です。
ただ、生まれたばかりの先天性眼瞼下垂のお子さんの場合は、
当たり前の話ですが 生まれてすぐに病気を理解できるわけもなく
成長とともに、自分のまぶたのことを自覚するようになりますね。
先天性眼瞼下垂の赤ちゃんが生まれてきて
当事者が「自分の問題」として考えられるようになるまでは
当事者の「親」たちの問題でもある。親もわが事のように、
悩みを抱えるわけです。
親はわが子につらい思いをさせたくない、そのためならどんなことでもやってやる。と思うし
子は親は何も分かってくれない、親に相談できないと悩むことが、実はとても多いような気がしています。
これまでにも、それぞれのご家庭で試行錯誤してきた問題だと思いますし
これから、この問題に直面するご家族は多いと思います。
はたして、このままわかりあえないのでしょうか・・・。
関連するのが、7月10日のMFMSのユーストリーム放送
Vol.112 「見た目問題」当事者の親としての心構え
http://mfms.jp/ustream/2013/0711/vol-112.html
Video streaming by Ustream
外川代表とまりんさんがお話した内容は、みなさんにとっても興味深いのでは?
そして今回は、みなさんからぜひ意見をいただきたいと思います。
テーマは「眼瞼下垂・親と子のコミュニケーションに思うこと」
「当事者の私は、これまで親と どのように語ってきたか、」
「親として、わが子にこれからどのように語っていきたいか」
自分の失敗から「こういう風にしておけばよかった」というものも含め、
親と子の会話・コミュニケーションについて
このブログを読んでいるみなさんの エピソードを募集します。
きっと いろんなご意見があると思います。
この記事のコメント欄を利用していただいても良いですし
ooba@gankennkasui.org へのメールでも。フォームを使っても。
ひとことでも構いませんので ぜひご意見をお聞かせください!
「NPO法人眼瞼下垂の会」のホームページも合わせてご覧ください。NPO法人眼瞼下垂の会では会員を募集しています。
Facebookにてfacebookページ「眼瞼下垂の会」を開いています。
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今回は「親と子の問題」というカテゴリから
親と子のコミュニケーションのことについて書きます。
眼瞼下垂で一番つらいのは、もちろん当事者です。
ただ、生まれたばかりの先天性眼瞼下垂のお子さんの場合は、
当たり前の話ですが 生まれてすぐに病気を理解できるわけもなく
成長とともに、自分のまぶたのことを自覚するようになりますね。
先天性眼瞼下垂の赤ちゃんが生まれてきて
当事者が「自分の問題」として考えられるようになるまでは
当事者の「親」たちの問題でもある。親もわが事のように、
悩みを抱えるわけです。
親はわが子につらい思いをさせたくない、そのためならどんなことでもやってやる。と思うし
子は親は何も分かってくれない、親に相談できないと悩むことが、実はとても多いような気がしています。
これまでにも、それぞれのご家庭で試行錯誤してきた問題だと思いますし
これから、この問題に直面するご家族は多いと思います。
はたして、このままわかりあえないのでしょうか・・・。
関連するのが、7月10日のMFMSのユーストリーム放送
Vol.112 「見た目問題」当事者の親としての心構え
http://mfms.jp/ustream/2013/0711/vol-112.html
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外川代表とまりんさんがお話した内容は、みなさんにとっても興味深いのでは?
そして今回は、みなさんからぜひ意見をいただきたいと思います。
テーマは「眼瞼下垂・親と子のコミュニケーションに思うこと」
「当事者の私は、これまで親と どのように語ってきたか、」
「親として、わが子にこれからどのように語っていきたいか」
自分の失敗から「こういう風にしておけばよかった」というものも含め、
親と子の会話・コミュニケーションについて
このブログを読んでいるみなさんの エピソードを募集します。
きっと いろんなご意見があると思います。
この記事のコメント欄を利用していただいても良いですし
ooba@gankennkasui.org へのメールでも。フォームを使っても。
ひとことでも構いませんので ぜひご意見をお聞かせください!
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2012年11月15日
親と子の 互いを思いやるこころを思う。
まぶたの病気 眼瞼下垂の患者と家族の支援をしているおーばです。
先日、私は地元のNPOマネージメントセミナーというものに参加しました。
パネリストのひとりに NPO法人「育てあげ」ネットの代表 工藤啓さんがいらっしゃいました。
私よりも10歳も若いのですが すでにこの団体の運営を10年続けている人で
セミナーでは「NPOの運営戦略」について
たくさんの参考になる話を聞いて帰ってきました。
で、この工藤さんのご著書もすでに何冊も出ていますが
最新刊が出たところだったので、さっそく読んでみました
ここで本全体の詳細な説明をするのは控えますが
「知識も能力もあるのに働けない」若者が 実は思ったよりも多くいる。という事実は衝撃でした。
この本には いくつかの具体的な事例が紹介されていますが
そのうちのある事例に ・・・ドキっとしました。
親に安心してもらいたいという気持ちから
自分自身の意に染まぬ離転職を繰り返す若者の話です。
子どもは「早く親を安心させたい」と願い
しかし親はどうかというとほとんどの親は「自分らしく働いてほしい」と願います。
お互いがお互いのことを本当に大切に思っていて
でも 結果的にそれが選択の幅を狭めたり 自分自身が苦しいということになっている…ということを ものすごくわかりやすく書いていて
そう!そうなのよ。
と 思わず 本を読みながら声が出そうになりました。
おんなじ現象は いたるところにあります。
眼瞼下垂も とりわけ先天性眼瞼下垂のお子さんとその親の関係は
何とも言えぬもどかしさや 一筋縄ではいかない「想い」を感じます。
私自身もかつてはそうだったのですが
親は子どもの病気の責任を一身に背負おうとします。
一方 子どもにとっては眼瞼下垂は「自分の問題」でしかありません
このまぶたのことを 気にするにしろ、気にしないにしろ
だれかから何かを言われようが 言われまいが
それは親のせいではない と考えるようです。
いやむしろ まぶたのことで「ごめんね」なんて
言ってほしくはないのだと思うのです。
まあ 時には勢いで「なんでこんなまぶたに産んだの?」
と 言ってしまうこともあるけれど(特に思春期あたりで)
そのことだけで 親を憎み続けたり恨み続ける人の話を
わたしはきいたことがありません。
一方、親の問題として、
かつては わが子をうまく愛せなくなってしまった親の話を、まれに聞くこともあったけれど、それは 親自身の孤立感や未熟さ そしてそんな親をサポートできる人がいなかったから なのかもしれないと わたしは思っています。
今でも、当事者のかたから
眼瞼下垂でずっと 嫌な思いもしてきたけれど 親には感謝している。
でも まぶたのことを親に話すと「ちゃんと産んであげられなくてごめんなさい」と言われるので 親には話をしにくい状況。
今、手術をしたいと思っているのだけれど なかなか切り出しにくくって・・・
という内容の メールを 時々いただきます。
そんな 心優しい若き当事者のかたへ これまでは
「とにかく、親に自分の気持ちをしっかり伝えてみましょう」としか言えなかったのですが
これからは こんな言葉にしてみようと思っています。
親は、子どもの幸せをいつも一心に願っています。
あなたの本当のきもちを 遠慮して言えなかったのだ、と知ったなら
あなたの親はきっと そんな風に思っていたの?と驚くかもしれませんね。
相手を思いやるばかりに本当にしたいことができなくなるのではなく
本当のきもちを しっかり伝えあうことが 大切なのだと思います。
長い文章 お読みいただきありがとうございました。
「NPO法人眼瞼下垂の会」のホームページも合わせてご覧ください。NPO法人眼瞼下垂の会では会員を募集しています。
Facebookにてfacebookページ「眼瞼下垂の会」を開いています。
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私よりも10歳も若いのですが すでにこの団体の運営を10年続けている人で
セミナーでは「NPOの運営戦略」について
たくさんの参考になる話を聞いて帰ってきました。
で、この工藤さんのご著書もすでに何冊も出ていますが
最新刊が出たところだったので、さっそく読んでみました
ここで本全体の詳細な説明をするのは控えますが
「知識も能力もあるのに働けない」若者が 実は思ったよりも多くいる。という事実は衝撃でした。
この本には いくつかの具体的な事例が紹介されていますが
そのうちのある事例に ・・・ドキっとしました。
親に安心してもらいたいという気持ちから
自分自身の意に染まぬ離転職を繰り返す若者の話です。
子どもは「早く親を安心させたい」と願い
しかし親はどうかというとほとんどの親は「自分らしく働いてほしい」と願います。
お互いがお互いのことを本当に大切に思っていて
でも 結果的にそれが選択の幅を狭めたり 自分自身が苦しいということになっている…ということを ものすごくわかりやすく書いていて
そう!そうなのよ。
と 思わず 本を読みながら声が出そうになりました。
おんなじ現象は いたるところにあります。
眼瞼下垂も とりわけ先天性眼瞼下垂のお子さんとその親の関係は
何とも言えぬもどかしさや 一筋縄ではいかない「想い」を感じます。
私自身もかつてはそうだったのですが
親は子どもの病気の責任を一身に背負おうとします。
一方 子どもにとっては眼瞼下垂は「自分の問題」でしかありません
このまぶたのことを 気にするにしろ、気にしないにしろ
だれかから何かを言われようが 言われまいが
それは親のせいではない と考えるようです。
いやむしろ まぶたのことで「ごめんね」なんて
言ってほしくはないのだと思うのです。
まあ 時には勢いで「なんでこんなまぶたに産んだの?」
と 言ってしまうこともあるけれど(特に思春期あたりで)
そのことだけで 親を憎み続けたり恨み続ける人の話を
わたしはきいたことがありません。
一方、親の問題として、
かつては わが子をうまく愛せなくなってしまった親の話を、まれに聞くこともあったけれど、それは 親自身の孤立感や未熟さ そしてそんな親をサポートできる人がいなかったから なのかもしれないと わたしは思っています。
今でも、当事者のかたから
眼瞼下垂でずっと 嫌な思いもしてきたけれど 親には感謝している。
でも まぶたのことを親に話すと「ちゃんと産んであげられなくてごめんなさい」と言われるので 親には話をしにくい状況。
今、手術をしたいと思っているのだけれど なかなか切り出しにくくって・・・
という内容の メールを 時々いただきます。
そんな 心優しい若き当事者のかたへ これまでは
「とにかく、親に自分の気持ちをしっかり伝えてみましょう」としか言えなかったのですが
これからは こんな言葉にしてみようと思っています。
親は、子どもの幸せをいつも一心に願っています。
あなたの本当のきもちを 遠慮して言えなかったのだ、と知ったなら
あなたの親はきっと そんな風に思っていたの?と驚くかもしれませんね。
相手を思いやるばかりに本当にしたいことができなくなるのではなく
本当のきもちを しっかり伝えあうことが 大切なのだと思います。
長い文章 お読みいただきありがとうございました。
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2011年12月16日
親子が分かち合うために必要なこと。
まぶたの病気「眼瞼下垂」の支援活動をしている、おーばです。
おかげさまでNPO法人が設立しましたが、
これからもこのブログでは
眼瞼下垂の病気にまつわる私個人の思いを 伝えていこうと思います。
今回とりあげるのは、最近目にしたお話。
この話、facebookで友人から紹介されてきたものを私も読み、
シェアしたところ そこからもさらに感動は広まっていっています・・・。
今回はこの話を読んで、私が思ったことを書きます。
そのおはなしというのがこれ ↓
君は不思議に思わなかったのかい。
感動的な話です。
でも 実にいろいろ考えさせられる話なのです。
ひとつは、親として わが子の障害にどう立ち向かうかという覚悟について。
「障害があるってことで 負けてほしくない」
そのためには仕事だって辞める という強い覚悟をもったこと。
この「思い」は 同じ立場の多くの親が持っていることと思っています。
先天性眼瞼下垂の子を持つ親も そうです。
「最高の医療を受けさせたい」と思うし、
そのためならどんな苦労もいとわないぞと決意する。
自分にできるのは それだけ なんです。
本当は代わってあげたい。でもそれかかなわないならば
眼瞼下垂だということが わが子の将来に暗い影を落とすようなことは
徹底的に排除しなければ!って 思うのです
このお話の「ドラマ」の部分でもあるのですが
成長する過程で 息子は障害を受け入れる過程で苦労してきたのは
「父親」が 息子に多くを語ってこなかったことが 原因だと思ってます
あえて いろいろな事情を語らなかったのは
それが息子に対する愛情だと思っていたから だろうし
日本人の美徳とされてきたから かもしれない
加えて、眼瞼下垂の場合は手術すると障害が目立たなくなる。
でも「眼瞼下垂をなかったことに」できるわけじゃない。
私は、真実(本当のこと)はいいことも悪いことも
隠すべきではない できるだけオープンにするのがいい
と思っている人間なので
父に真実をなかなか明かしてもらえなかった息子を思うと
かわいそうだったなって思ってしまうわけです。
この話の「先生」となる存在がなかったとしたら
「息子」はこの先の人生も 暗く恨みがましい気持ちだけで
生きてゆかなければならなかったわけで、
いやあ 先生がいてくれて 良かったなと思わずにはいられないのです。
現実問題で、自分の境遇を受容しきれずに恨みの気持ちで生きている人は少なくないのです。
「先生」的な存在は必ずしもも存在するわけではないと思うのです。
わたしは当事者と親の間に立ち 相互の理解を深めるためのお手伝いをしたくて
「患者支援」の活動を続ける決意をしたのです。
と、かっこいいことを書きましたが 実は意識しないうちに始めていたのですよ。
親も苦しくて、子も苦しくて
両方とも わかち合えなくって。
でも 親の気持ちを子が理解して 子の苦悩を親が理解して そんな分かち合いさえできれば
これはね、本当にいい親子になれると思うんです。
どうやったら いい分かち合いができるのかは
私にもわからないのですが
向き合って 語ることは まちがいなく分かち合いにつながる一歩だと思ってます
NPO法人眼瞼下垂の会では会員を募集しています。
facebookにてfacebookページ「眼瞼下垂の会」を開いています。
mixiページ「眼瞼下垂の会」をスタートしました。
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おかげさまでNPO法人が設立しましたが、
これからもこのブログでは
眼瞼下垂の病気にまつわる私個人の思いを 伝えていこうと思います。
今回とりあげるのは、最近目にしたお話。
この話、facebookで友人から紹介されてきたものを私も読み、
シェアしたところ そこからもさらに感動は広まっていっています・・・。
今回はこの話を読んで、私が思ったことを書きます。
そのおはなしというのがこれ ↓
君は不思議に思わなかったのかい。
感動的な話です。
でも 実にいろいろ考えさせられる話なのです。
ひとつは、親として わが子の障害にどう立ち向かうかという覚悟について。
「障害があるってことで 負けてほしくない」
そのためには仕事だって辞める という強い覚悟をもったこと。
この「思い」は 同じ立場の多くの親が持っていることと思っています。
先天性眼瞼下垂の子を持つ親も そうです。
「最高の医療を受けさせたい」と思うし、
そのためならどんな苦労もいとわないぞと決意する。
自分にできるのは それだけ なんです。
本当は代わってあげたい。でもそれかかなわないならば
眼瞼下垂だということが わが子の将来に暗い影を落とすようなことは
徹底的に排除しなければ!って 思うのです
このお話の「ドラマ」の部分でもあるのですが
成長する過程で 息子は障害を受け入れる過程で苦労してきたのは
「父親」が 息子に多くを語ってこなかったことが 原因だと思ってます
あえて いろいろな事情を語らなかったのは
それが息子に対する愛情だと思っていたから だろうし
日本人の美徳とされてきたから かもしれない
加えて、眼瞼下垂の場合は手術すると障害が目立たなくなる。
でも「眼瞼下垂をなかったことに」できるわけじゃない。
私は、真実(本当のこと)はいいことも悪いことも
隠すべきではない できるだけオープンにするのがいい
と思っている人間なので
父に真実をなかなか明かしてもらえなかった息子を思うと
かわいそうだったなって思ってしまうわけです。
この話の「先生」となる存在がなかったとしたら
「息子」はこの先の人生も 暗く恨みがましい気持ちだけで
生きてゆかなければならなかったわけで、
いやあ 先生がいてくれて 良かったなと思わずにはいられないのです。
現実問題で、自分の境遇を受容しきれずに恨みの気持ちで生きている人は少なくないのです。
「先生」的な存在は必ずしもも存在するわけではないと思うのです。
わたしは当事者と親の間に立ち 相互の理解を深めるためのお手伝いをしたくて
「患者支援」の活動を続ける決意をしたのです。
と、かっこいいことを書きましたが 実は意識しないうちに始めていたのですよ。
親も苦しくて、子も苦しくて
両方とも わかち合えなくって。
でも 親の気持ちを子が理解して 子の苦悩を親が理解して そんな分かち合いさえできれば
これはね、本当にいい親子になれると思うんです。
どうやったら いい分かち合いができるのかは
私にもわからないのですが
向き合って 語ることは まちがいなく分かち合いにつながる一歩だと思ってます
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2011年10月10日
「障害」を持つ親の意識 乙武さんの考え(と私の考え)
まぶたの病気 眼瞼下垂の患者支援活動をしている おーばです。11年前に第2子で「先天性眼瞼下垂」の子を産んだことがきっかけになりこの活動をするようになりましたが、
いまでは、さまざまな病気の「患者会」や「障害をもつこと」「障害以外にもある、無知からくる被差別」についてもさまざまに考えながら、支援活動をつづけています。
今日はtwitterで話題になった乙武さんの連続ツイートを読んだ私の感想です。
ということで まずは その内容をお読みいただきたいのですが
このブログをお読みいただく環境によっては、リンク先にいけない方もいらっしゃいますね?
「不幸」の烙印を押さないでというまとめになっていまして
・親がわが子の障害について負い目を感じ続けていると、その子も「自分は不幸の身に生まれたのだ」という意識を持つようになる
・障害があろうがおおらかな気持ちでわが子に接していることで、障害を重たい十字架と感じることなく生きていけるのではないか。乙武さんの親はそうだったし、乙武さんもみずからの障害をとくに悲観することなく生きてきた。
・どっちが正しいとはいえない。どっちも我が子を愛しているからこそのことだと思う。
・・・以下、障害者の親が辿るであろう、苦難の道に思いを巡らせ「親としての障害受容」が容易でないことにも言及しています。
『五体不満足』がベストセラーになったとき、私もこの本を読んでいます。(第1子出産後のことでした)乙武さんに初めて対面した彼のお母さんは、周囲の心配に反して「かわいい」と彼の出産を喜んだと 記されています。(今、手元に本がないので正確な描写ではないのですが)
乙武さんのおかあさんって凄いなと、単純に尊敬の気持ちで読みました。
その後出産した第2子に先天性眼瞼下垂があったのですが、私は最初の数ヶ月ずいぶん自分を責め、わが子に詫びたい気持ちでおりました。(そのことは最近 My Face誌のロングインタビューで、けっこう赤裸々に書いています)
『五体不満足』を読み返してみたのは 数年前になるでしょうか。
この頃には今と同じような 「支援活動」をする立場でした。
はたしてお母さんは本当にかわいいとしか思わなかったのだろうか。悲観したり、悩んだりしなかったのか。もし、乙武さんのお母さんが本当にそのとおりの言動、行動をしていたのだとしても。前向きであらねばならないという単純なロールモデルを提示するだけでは
そこになかなか到達できない大多数の親に「きっとじぶんだけが前向きになれないんだ」という気持ちを植えつけることになってしまう、と感じました。
障害児をもつ母親に、更なる苦しみとして与えられてしまったというケースには実際に私も直面しています。
大学院で私が研究したのも、「先天性疾患児を持つ親の受容過程」でした(今春修了したばかりです)。
そこで得られたのは(人それぞれの部分はあるにせよ)たいていの親は 最初はショックも受けるし、「なんで私の子が?」という否定的な気分にもなるし、抑うつ的になる人もいる。
家族や医療機関 患者会活動など周囲のサポートを受けることで その悩みの時期から時間をかけて 受容することができる というものでした。
つまり私の言いたいのは、「乙武さんのお母さんはある意味特例」ということ。・・・これは乙武さん個人やお母様を否定するんじゃないんですよ(念のため!)。
最初っから、なんのショックもなくわが子の障害を受け入れられる親は、たいへん珍しい。とても苦しみながら、時には自分を責める時期があってもそれは当然のこと。
時間をかけてすこしずつわが子の現状に向かい合うことができれば それでいいのです。
かつては 私のような名もなき個人の声がどこかにつながる術はありませんでした。障害を持った親は、一人ひとりが孤独の中で受容してゆかなければなりませんでした。
それが たとえばネット上の小さい取り組みなどでも、お互いの思いを共有しあうことで 親が前向きに障害に向き合うようになるためのお手伝いができるようになるとしたら それは障害を持つ本人にもプラスになる!ってそう思っています。
大場は 乙武さんの活動や発言にはいつも同意しているし、応援してます。これからも、どんどん発信して欲しい。そのうえで、私自身の立場はやっぱり「親」なので、親に向けた私なりのメッセージっていうのはどうしても伝えたいと思い、今回のブログ記事を書きました。
眼瞼下垂の会(NPO法人・申請中)はプレ会員を募集しています。
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(アカウントを持っていなくても、それぞれのページを見ることが出来ます。)
いまでは、さまざまな病気の「患者会」や「障害をもつこと」「障害以外にもある、無知からくる被差別」についてもさまざまに考えながら、支援活動をつづけています。
今日はtwitterで話題になった乙武さんの連続ツイートを読んだ私の感想です。
ということで まずは その内容をお読みいただきたいのですが
このブログをお読みいただく環境によっては、リンク先にいけない方もいらっしゃいますね?
「不幸」の烙印を押さないでというまとめになっていまして
・親がわが子の障害について負い目を感じ続けていると、その子も「自分は不幸の身に生まれたのだ」という意識を持つようになる
・障害があろうがおおらかな気持ちでわが子に接していることで、障害を重たい十字架と感じることなく生きていけるのではないか。乙武さんの親はそうだったし、乙武さんもみずからの障害をとくに悲観することなく生きてきた。
・どっちが正しいとはいえない。どっちも我が子を愛しているからこそのことだと思う。
・・・以下、障害者の親が辿るであろう、苦難の道に思いを巡らせ「親としての障害受容」が容易でないことにも言及しています。
『五体不満足』がベストセラーになったとき、私もこの本を読んでいます。(第1子出産後のことでした)乙武さんに初めて対面した彼のお母さんは、周囲の心配に反して「かわいい」と彼の出産を喜んだと 記されています。(今、手元に本がないので正確な描写ではないのですが)
乙武さんのおかあさんって凄いなと、単純に尊敬の気持ちで読みました。
その後出産した第2子に先天性眼瞼下垂があったのですが、私は最初の数ヶ月ずいぶん自分を責め、わが子に詫びたい気持ちでおりました。(そのことは最近 My Face誌のロングインタビューで、けっこう赤裸々に書いています)
『五体不満足』を読み返してみたのは 数年前になるでしょうか。
この頃には今と同じような 「支援活動」をする立場でした。
はたしてお母さんは本当にかわいいとしか思わなかったのだろうか。悲観したり、悩んだりしなかったのか。もし、乙武さんのお母さんが本当にそのとおりの言動、行動をしていたのだとしても。前向きであらねばならないという単純なロールモデルを提示するだけでは
そこになかなか到達できない大多数の親に「きっとじぶんだけが前向きになれないんだ」という気持ちを植えつけることになってしまう、と感じました。
障害児をもつ母親に、更なる苦しみとして与えられてしまったというケースには実際に私も直面しています。
大学院で私が研究したのも、「先天性疾患児を持つ親の受容過程」でした(今春修了したばかりです)。
そこで得られたのは(人それぞれの部分はあるにせよ)たいていの親は 最初はショックも受けるし、「なんで私の子が?」という否定的な気分にもなるし、抑うつ的になる人もいる。
家族や医療機関 患者会活動など周囲のサポートを受けることで その悩みの時期から時間をかけて 受容することができる というものでした。
つまり私の言いたいのは、「乙武さんのお母さんはある意味特例」ということ。・・・これは乙武さん個人やお母様を否定するんじゃないんですよ(念のため!)。
最初っから、なんのショックもなくわが子の障害を受け入れられる親は、たいへん珍しい。とても苦しみながら、時には自分を責める時期があってもそれは当然のこと。
時間をかけてすこしずつわが子の現状に向かい合うことができれば それでいいのです。
かつては 私のような名もなき個人の声がどこかにつながる術はありませんでした。障害を持った親は、一人ひとりが孤独の中で受容してゆかなければなりませんでした。
それが たとえばネット上の小さい取り組みなどでも、お互いの思いを共有しあうことで 親が前向きに障害に向き合うようになるためのお手伝いができるようになるとしたら それは障害を持つ本人にもプラスになる!ってそう思っています。
大場は 乙武さんの活動や発言にはいつも同意しているし、応援してます。これからも、どんどん発信して欲しい。そのうえで、私自身の立場はやっぱり「親」なので、親に向けた私なりのメッセージっていうのはどうしても伝えたいと思い、今回のブログ記事を書きました。
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2011年04月02日
親に気持ちを話すとき〜我が家の見た目問題(2)
おーばです
前回に引き続き、「顔のあざ」のお話。
長男は中学デビューを前に
思い切って 3月半ばに、親に自分の気持ちを打ち明けてくれました。
半年早く、私が長男のきもちをわかっていたなら
長男は願いどおりに あざを目立たなくして中学生活をスタートできたと思います。
残念ながらそれはかないませんでした。
今回長男は、夏休みに手術をすることであざを目立ちにくくするという医師の説明に納得できたのですが、親として「ああ、長男がずっと悩んでいたことを もっと早く察知してあげればよかった」ってやはり申し訳ない気持ちになりました。
ひるがえって。
先天性眼瞼下垂のお子さんをお持ちの親御さんで、手術を小学校に入学の前後にと考えていらっしゃるかたや 幼児期に一度手術をしたけれど、いずれ再度の手術が必要になるだろうといわれているご家庭は 結構多いと思います。
(我が家もそうです)
小学校に上がるようになったら 手術をする・しない は本人の意見を最優先にしてあげてほしいです。
自身の眼瞼下垂が 気になる 気にならないってことや
いつころに手術をしたいと思う ということなどが お子さんの口から出てきやすい環境にしてあげてほしいのです。
一昔前によくあったのが、大学生くらいの眼瞼下垂の当事者の方からのメールで
ちいさいころからずっと一人で悩んできて 親にも相談できなくて
(親には、なんだか相談できないような感じだった)
手術しようと決意して 親にそのことを話したら
「あなたがそんなに悩んでいたなんて」
「いつ手術したいといってくれるか ずっと待っていた」
って 親が泣くんですって。
その親も わが子の眼瞼下垂をひとりで受け止めようと必死だったのかもしれないけど
それを 本人と分かち合えればよかったのに と思う
親子のあいだで
問題を共有するってことが まず大切だと思う。
定期的な受診のときに、聞いてみるのもいいかもしれない。
「学校で、まぶたのこと言われちゃったりする?」
「あなたは まぶたを手術したいと思う?」
仮に、ほかの疾患・症状でも それなりに聞くタイミングはあるのではないかと思います。
親が、自分の症状のことを気にかけてくれることが理解できると、
こどもも安心して 自分の抱えている悩みを話してくれるかもしれません。
もちろん
時には「裏目の反応」が出ることも あるのかもしれないけど・・・。
親がどんな気持ちで子を思っているのかは、子にもちゃん伝わるものだし
子も 親がびっくりするほど 親のことを思って生きています。
でも だからこそ
「思いを言葉で共有する」ってことは、お互いにとって 良い結果を生むものです。
親も 子も 気持ちを きちんと相手に伝えることを心がけたいですね。
前回に引き続き、「顔のあざ」のお話。
長男は中学デビューを前に
思い切って 3月半ばに、親に自分の気持ちを打ち明けてくれました。
半年早く、私が長男のきもちをわかっていたなら
長男は願いどおりに あざを目立たなくして中学生活をスタートできたと思います。
残念ながらそれはかないませんでした。
今回長男は、夏休みに手術をすることであざを目立ちにくくするという医師の説明に納得できたのですが、親として「ああ、長男がずっと悩んでいたことを もっと早く察知してあげればよかった」ってやはり申し訳ない気持ちになりました。
ひるがえって。
先天性眼瞼下垂のお子さんをお持ちの親御さんで、手術を小学校に入学の前後にと考えていらっしゃるかたや 幼児期に一度手術をしたけれど、いずれ再度の手術が必要になるだろうといわれているご家庭は 結構多いと思います。
(我が家もそうです)
小学校に上がるようになったら 手術をする・しない は本人の意見を最優先にしてあげてほしいです。
自身の眼瞼下垂が 気になる 気にならないってことや
いつころに手術をしたいと思う ということなどが お子さんの口から出てきやすい環境にしてあげてほしいのです。
一昔前によくあったのが、大学生くらいの眼瞼下垂の当事者の方からのメールで
ちいさいころからずっと一人で悩んできて 親にも相談できなくて
(親には、なんだか相談できないような感じだった)
手術しようと決意して 親にそのことを話したら
「あなたがそんなに悩んでいたなんて」
「いつ手術したいといってくれるか ずっと待っていた」
って 親が泣くんですって。
その親も わが子の眼瞼下垂をひとりで受け止めようと必死だったのかもしれないけど
それを 本人と分かち合えればよかったのに と思う
親子のあいだで
問題を共有するってことが まず大切だと思う。
定期的な受診のときに、聞いてみるのもいいかもしれない。
「学校で、まぶたのこと言われちゃったりする?」
「あなたは まぶたを手術したいと思う?」
仮に、ほかの疾患・症状でも それなりに聞くタイミングはあるのではないかと思います。
親が、自分の症状のことを気にかけてくれることが理解できると、
こどもも安心して 自分の抱えている悩みを話してくれるかもしれません。
もちろん
時には「裏目の反応」が出ることも あるのかもしれないけど・・・。
親がどんな気持ちで子を思っているのかは、子にもちゃん伝わるものだし
子も 親がびっくりするほど 親のことを思って生きています。
でも だからこそ
「思いを言葉で共有する」ってことは、お互いにとって 良い結果を生むものです。
親も 子も 気持ちを きちんと相手に伝えることを心がけたいですね。
2011年03月31日
我が家の、もうひとりの見た目問題当事者(1)
おーばです。
私は先天性眼瞼下垂の子の母親ですが、今回はもう一人の子のことを書くことにいたします。
4月から中学生になる息子(長男)です。
長男は生まれたときから 顔に薄い小さな あざを持っています。
気になるといえば気になるし、気にならないといえば気にならない程度のあざ です。
家族は毎日一緒に暮らしていますし、これが気になることはありません。
本人も 自身の顔のあざのことを気にするそぶりは ほとんどなかったのですが
小学校の卒業式を終えた日の夜、
「あざを消したいから病院に行きたい」と 初めて自分の思いを話してくれました。
親として、申し訳ないことをしたと思いました。
私は眼瞼下垂のことばっかり考えていて
同じく 見た目の問題である あざのことを軽視していたかもしれません。
いや、あざを軽視していたというよりは
もっと たいへんな状況の人にたくさん出会っているために
わが子に悩みがあったことを 見過ごしてしまっていたのかもしれません。
話を聞いてみると 新しい仲間に出会うとやっぱり必ず あざのことに触れられる。
それは自分にとって とっても「イヤ」なことだった。
こんど中学にあがるし
また 同じ思いをするんじゃないかと思うと それはイヤだと思った。
ということを 話してくれました。
調べてみた限りでは 長男のあざは 薄い茶色のもので悪性ではなく
その代わりレーザー治療をしてもあまり効果がないということでした。
長男には 事実を伝えてそのうえで 治療できるかどうか聞いてみようと話し、
市内の形成外科クリニックを受診しました。
そのクリニックの医師の見解は、「あざの部分の皮膚を切除することで 消せます」というものでした。
手術は2回に分けて行うことと 手術の予約も詰まっていることと
学校が休みのうちにやったほうがいいでしょうということで 実際の初回手術はこの夏に予定されます。
当初の望みであった「中学校に入学前」という希望は叶わなかったのですが
長男の表情は 思いのほか明るかったので 親としても ホッとしました。
クリニックからの帰り道 あえて聞いてみました。
「中学のクラスメイトから、あざのこと言われちゃうかもしれないねえ」
長男は淡々と「まあ 気にしないようにするさ」と答えました。
聞かれたときには、「生まれつきなんだ」とさらっと言うといいよ
言われたことにカッカしたり ムキになったりすると 面白がられるだけだから
からかってくるやつがいても 相手にしなくていいからね。
私にアドバイスできることは しました。
あとは 本人の気持ち次第だなーと 思います。
次回のブログでは このお話から考えたことを書きます。
私は先天性眼瞼下垂の子の母親ですが、今回はもう一人の子のことを書くことにいたします。
4月から中学生になる息子(長男)です。
長男は生まれたときから 顔に薄い小さな あざを持っています。
気になるといえば気になるし、気にならないといえば気にならない程度のあざ です。
家族は毎日一緒に暮らしていますし、これが気になることはありません。
本人も 自身の顔のあざのことを気にするそぶりは ほとんどなかったのですが
小学校の卒業式を終えた日の夜、
「あざを消したいから病院に行きたい」と 初めて自分の思いを話してくれました。
親として、申し訳ないことをしたと思いました。
私は眼瞼下垂のことばっかり考えていて
同じく 見た目の問題である あざのことを軽視していたかもしれません。
いや、あざを軽視していたというよりは
もっと たいへんな状況の人にたくさん出会っているために
わが子に悩みがあったことを 見過ごしてしまっていたのかもしれません。
話を聞いてみると 新しい仲間に出会うとやっぱり必ず あざのことに触れられる。
それは自分にとって とっても「イヤ」なことだった。
こんど中学にあがるし
また 同じ思いをするんじゃないかと思うと それはイヤだと思った。
ということを 話してくれました。
調べてみた限りでは 長男のあざは 薄い茶色のもので悪性ではなく
その代わりレーザー治療をしてもあまり効果がないということでした。
長男には 事実を伝えてそのうえで 治療できるかどうか聞いてみようと話し、
市内の形成外科クリニックを受診しました。
そのクリニックの医師の見解は、「あざの部分の皮膚を切除することで 消せます」というものでした。
手術は2回に分けて行うことと 手術の予約も詰まっていることと
学校が休みのうちにやったほうがいいでしょうということで 実際の初回手術はこの夏に予定されます。
当初の望みであった「中学校に入学前」という希望は叶わなかったのですが
長男の表情は 思いのほか明るかったので 親としても ホッとしました。
クリニックからの帰り道 あえて聞いてみました。
「中学のクラスメイトから、あざのこと言われちゃうかもしれないねえ」
長男は淡々と「まあ 気にしないようにするさ」と答えました。
聞かれたときには、「生まれつきなんだ」とさらっと言うといいよ
言われたことにカッカしたり ムキになったりすると 面白がられるだけだから
からかってくるやつがいても 相手にしなくていいからね。
私にアドバイスできることは しました。
あとは 本人の気持ち次第だなーと 思います。
次回のブログでは このお話から考えたことを書きます。
2011年03月11日
不安や悲しみから 反転するきっかけ
おーばです
先天性眼瞼下垂とはじめて向き合うママに贈る「だいじょうぶだよ、ママ」
今回も「気持ちを切り替えることについて書いてみます。
病気のことが知りたくて
「先天性眼瞼下垂」というキーワードでインターネットの情報をどんどん検索してゆきますと
症状のこと 治療方法のことを紹介するものに混じって
眼瞼下垂の体験談 手術の体験談などを目にする機会があります。
それまで「なぜこんな病気になった? なんで私の子か? 私のせいなのか?」と
疑問や不安、心配、悲しみ、孤独感に押しつぶされそうになっていたことでしょうが、
同じ体験をした人がほかにもいるとわかると
正直 ほっとします。
その人の書いた文章を読むことで、ああ、一緒だなあと思ってみたり、
たとえその内容が自分の体験と重ならない部分があったとしても、癒しになります。
直接 その人に連絡を取ることは出来なくても
いてくれるだけで ありがたい。
そんな風に感じるおかあさんは、とても多いです。
ひとりじゃない 孤独じゃない 悩みを分かち合える仲間がいると 実感できることは
実は ものすごく 大きな力を与えてくれると
私は、思っているのです。
私自身も わが子のことをホームページに載せるようになったきっかけは
やはり そういう体験談を読んで 元気をもらったから だったように記憶しています
人それぞれ 悲しみを乗り越えるきっかけはいろいろあるでしょうが
いままで悲しかったり 苦しかったりした分、
まずは 元気や勇気を どんどん 吸収するのがいいんです。
おかあさんが元気になれば 家の中は明るくなるし 元気も出るし
とりあえず そこから 再出発できるようになります!
みんなの元気のためならば
私はどんどん LOVE注入しますよ。
先天性眼瞼下垂とはじめて向き合うママに贈る「だいじょうぶだよ、ママ」
今回も「気持ちを切り替えることについて書いてみます。
病気のことが知りたくて
「先天性眼瞼下垂」というキーワードでインターネットの情報をどんどん検索してゆきますと
症状のこと 治療方法のことを紹介するものに混じって
眼瞼下垂の体験談 手術の体験談などを目にする機会があります。
それまで「なぜこんな病気になった? なんで私の子か? 私のせいなのか?」と
疑問や不安、心配、悲しみ、孤独感に押しつぶされそうになっていたことでしょうが、
同じ体験をした人がほかにもいるとわかると
正直 ほっとします。
その人の書いた文章を読むことで、ああ、一緒だなあと思ってみたり、
たとえその内容が自分の体験と重ならない部分があったとしても、癒しになります。
直接 その人に連絡を取ることは出来なくても
いてくれるだけで ありがたい。
そんな風に感じるおかあさんは、とても多いです。
ひとりじゃない 孤独じゃない 悩みを分かち合える仲間がいると 実感できることは
実は ものすごく 大きな力を与えてくれると
私は、思っているのです。
私自身も わが子のことをホームページに載せるようになったきっかけは
やはり そういう体験談を読んで 元気をもらったから だったように記憶しています
人それぞれ 悲しみを乗り越えるきっかけはいろいろあるでしょうが
いままで悲しかったり 苦しかったりした分、
まずは 元気や勇気を どんどん 吸収するのがいいんです。
おかあさんが元気になれば 家の中は明るくなるし 元気も出るし
とりあえず そこから 再出発できるようになります!
みんなの元気のためならば
私はどんどん LOVE注入しますよ。
2011年03月02日
家族で分かち合い、のりこえてゆくのです。
おーばです。
先天性眼瞼下垂とはじめて向き合うママに贈る「だいじょうぶだよ、ママ」
「だいじょうぶ」と書きつつ、辛い現実のことばかりを書いてきました。
今回からは 気持ちを切り替えることについて書いてみます。
(今回は ママだけじゃなくそのご家族にも 読んでいただきたいお話です。)
たとえどんなに深い悲しみの中にいたとしても、
毎日の生活は 続いていきます。
生まれて間もない赤ちゃんは 絶えずあなたを求めています。
主婦としての毎日には 休みはありませんし
あなた自身のためにも 食事や睡眠をとることはとっても大切です。
そういった日々の暮らしが あなたに平静な気持ちをもたらしてくれるのならば ひとまず安心です。
心配なのは ストレスから眠れなくなってしまったり 食事を十分にとれなかったり
身の周りのことができない (やろうと思っても身体が動かず、焦ったり落ち込んだりする)
そんなときは
ぜったいに抱え込まないでください
赤ちゃんのために ご家族のために そしてなによりあなたのために
SOSを出してほしいのです
ただ、往々にして SOSが必要な人ほど 我慢強すぎて
「こんなことくらいで周囲に助けを求めてはいけない」と自制してしまう傾向があると思うのです。
でも
眼瞼下垂っていう病気と付き合う中では
おかあさんひとりが抱えこまないようにするのが大切だと思います。
わたしは
家族の方のサポートが一番大切だと思っています。
おかあさんの話(お母さんの気持ち)をゆっくり話を聞いてあげること
代われる家事はかわってあげて お母さんをすこし休ませてあげること
時には必要な相談機関へ 話をもってゆくことも有効かもしれません。
(地域の保健師さんや 民間の育児サービスの電話相談窓口は有効に活用しましょう)
眼瞼下垂の問題に関しては 私にメールをすることで、
必要なアドバイスに繋げることもできます。
眼瞼下垂は生まれてきた赤ちゃんの身に起きた問題です。
でも たいていのお母さんは赤ちゃんの分まで背負い込んでしまいます。
背負う荷物の大きさは 受け止め方の違いなどでも 違ってくるでしょうが
時に お母さんはひとりでその荷に押しつぶされそうになることもあるってことです。
すこし荷物をおろしてあげる そしてみんなで荷物を分担してゆくのです。
あ、「荷物」と書きましたが もちろん赤ちゃんが荷物という意味じゃありませんよ。
眼瞼下垂自体がお荷物だという意味でもありません。
「荷物」の正体は病気を受け止めきれない気持ち そう 気持ちの問題です。
支える家族(主にパパ そしてご実家のおじいちゃん、おばあちゃん)
もプロではありません。
まして家族のかただって 心配や不安でいっぱいなのですから
そして赤ちゃんのおかあさんには 強くあってほしいと思うでしょうから
時にはおかあさんを叱咤激励したくなる気持ちにもなるでしょう。
でも おかあさんの気持ちが元気になってくるまでは どうか あたたかく見守ってあげてください。
だいじょうぶですよ。
今をきちんと乗り越えることで 次のステップにちゃんと進むことができます。
なので 今は おかあさんのことをしっかり支えてあげてください。
先天性眼瞼下垂とはじめて向き合うママに贈る「だいじょうぶだよ、ママ」
「だいじょうぶ」と書きつつ、辛い現実のことばかりを書いてきました。
今回からは 気持ちを切り替えることについて書いてみます。
(今回は ママだけじゃなくそのご家族にも 読んでいただきたいお話です。)
たとえどんなに深い悲しみの中にいたとしても、
毎日の生活は 続いていきます。
生まれて間もない赤ちゃんは 絶えずあなたを求めています。
主婦としての毎日には 休みはありませんし
あなた自身のためにも 食事や睡眠をとることはとっても大切です。
そういった日々の暮らしが あなたに平静な気持ちをもたらしてくれるのならば ひとまず安心です。
心配なのは ストレスから眠れなくなってしまったり 食事を十分にとれなかったり
身の周りのことができない (やろうと思っても身体が動かず、焦ったり落ち込んだりする)
そんなときは
ぜったいに抱え込まないでください
赤ちゃんのために ご家族のために そしてなによりあなたのために
SOSを出してほしいのです
ただ、往々にして SOSが必要な人ほど 我慢強すぎて
「こんなことくらいで周囲に助けを求めてはいけない」と自制してしまう傾向があると思うのです。
でも
眼瞼下垂っていう病気と付き合う中では
おかあさんひとりが抱えこまないようにするのが大切だと思います。
わたしは
家族の方のサポートが一番大切だと思っています。
おかあさんの話(お母さんの気持ち)をゆっくり話を聞いてあげること
代われる家事はかわってあげて お母さんをすこし休ませてあげること
時には必要な相談機関へ 話をもってゆくことも有効かもしれません。
(地域の保健師さんや 民間の育児サービスの電話相談窓口は有効に活用しましょう)
眼瞼下垂の問題に関しては 私にメールをすることで、
必要なアドバイスに繋げることもできます。
眼瞼下垂は生まれてきた赤ちゃんの身に起きた問題です。
でも たいていのお母さんは赤ちゃんの分まで背負い込んでしまいます。
背負う荷物の大きさは 受け止め方の違いなどでも 違ってくるでしょうが
時に お母さんはひとりでその荷に押しつぶされそうになることもあるってことです。
すこし荷物をおろしてあげる そしてみんなで荷物を分担してゆくのです。
あ、「荷物」と書きましたが もちろん赤ちゃんが荷物という意味じゃありませんよ。
眼瞼下垂自体がお荷物だという意味でもありません。
「荷物」の正体は病気を受け止めきれない気持ち そう 気持ちの問題です。
支える家族(主にパパ そしてご実家のおじいちゃん、おばあちゃん)
もプロではありません。
まして家族のかただって 心配や不安でいっぱいなのですから
そして赤ちゃんのおかあさんには 強くあってほしいと思うでしょうから
時にはおかあさんを叱咤激励したくなる気持ちにもなるでしょう。
でも おかあさんの気持ちが元気になってくるまでは どうか あたたかく見守ってあげてください。
だいじょうぶですよ。
今をきちんと乗り越えることで 次のステップにちゃんと進むことができます。
なので 今は おかあさんのことをしっかり支えてあげてください。