本日は 世界希少・難知性疾患の日 なのだそうです
海外では 2008年から この日にあわせたイベントが行われていましたが
日本では
今日その最初の会が開かれました。先天性眼瞼下垂が このイベントの趣旨に合致するかどうかは
微妙だとは思いつつも 参加させていただきました。
いくつかの展示や、体験型のイベントがありましたが
メインのイベントは2つ
前半のワールドカフェ(患者、医師、研究者、などさまざまな立場の人がテーブルを囲む公開ディスカッション)は
3つのラウンドと
最後の全体セッションで構成されておりました。
私は 途中のところからそのディスカッションを傍聴しました。
立場の違いを越えて
何か問題なのか どこに解決策を見いだすのか
・・・議論自体は 思うに任せない部分も多いように思ったのですが
こういう とりくみを始めたことが すばらしいと思いました。
で、途中からは参加したくてうずうずしてたんです。
最後の意見・感想を言う場で 一番に声を挙げたのが私です。
傍聴していただけなのに ずうずうしく感想を述べちゃって
・・・どうもスイマセンでした。
後半は希少・難治性疾患の「生の声」を聞く場でした。
遺伝性の病気あり
神経難病あり
「生死には関わらないけれど、生きにくい」病気も・・・
5名の様々な境遇の方の
貴重なお話を聞かせていただきました。
どの病気も、一般の人には馴染みの薄い病気です。
たまたま
私が新卒で勤めた病院が「神経難病の専門病院」という
かなり特殊な経歴を持つから なのでしょうが・・・
ほとんどの病名は理解できました。それただけでも
きっと 珍しい観覧者だったと思います。
5名のみなさんの 抱えてきた苦悩や
その苦悩を越えて前に進もうとするみなさんの力強さには
大いに共感しました。
その後登場したのは
歌手の、木山裕策さん。
ご自身、甲状腺の腫瘍摘出により声を失うかもしれないという体験を乗り越え オーディションを経て歌手デビュー。
紅白歌合戦にも 出場されていましたね。
お子さんが川崎病で一時はかなり重篤な状態になったということもお話されました。川崎病という病名に最初にピンと来たのは 奥さん(おこさんのおかあさん)
実は そのお母さんもまた かつて川崎病にかかっていた。
そうでなければ診断に要する時間がもっとかかっていたかもしれない。
でも患者の家族の勘に頼るような医療なんて本当はおかしいんじゃないのか?
そんなご自身の体験を踏まえ 希少な病気に対する支援が今後もっと進むように後押ししたい語っていただきました。
そして
「HOME」を歌っていただきました。
心にしみる ステキな歌声でした。
この曲を最初に聴いたときにも 涙が出たのですが
はじめて生で聴いた今日は もっと泣けてしまいました。
こういうイベントに参加するのは久しぶりでした。
3年前に顔を出し始めたときには
名刺を持たず 引っ込み思案にたたずんでいましたが
3年の月日は 私をずうずうしいオバサンに変貌させ
いろんな方と 積極的に名刺の交換もさせていただきました。
こうしたつながりが また 次につながるかもしれません。
今回のイベントを実質運営したのは製薬会社の若き研究者のみなさま
かれらのひとりにも
「こういうイベントは 始めることに意義があるのですが
続けることに もっと意義がある。
どうか続けてください!」と
熱く語ってしまいました
だって
せっかくの いい取り組みなんですもの!
やっぱり 持続してこそ 意義があるんです。
私も、自分にできることを これからもがんばって続けたいと
そう 思いつつ帰途につきました。
posted by 大場 美津子 at 21:32
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