おーばです。
眼瞼下垂にまつわるいろいろなことを書いています。
今日は「眼瞼下垂の子の母」としての日記(あるいは備忘録)です
私の息子は先天性の左眼瞼下垂です。
3歳少し手前のときに 挙筋前転術(挙筋短縮術)をしてから、8年が経過しました。
術後しばらくは、まぶたの状況や視力のチェックもあったので
数ヶ月に一度程度の通院間隔でしたが
小学校に入学するころには 1年に一度の通院ペースが定着しました。
たいてい夏休みに 受診しています。
今年は8月のお盆時期になりました。
次男にとって、母と2人で東京にお出かけするのは一種のレジャーになっているので
前日の夜から楽しみにしていたようです。
早い時間に予約がとれたので、8時過ぎに、病院に到着。
9時前には視力の検査も終了し、
診察の順番も早かったです(^^)
視力は、ここ数年メガネの度数は一切変わっていないのですが・・・
健眼側は若干の近眼があります。今回矯正で0.9
下垂をしている側は 遠視と乱視があり 矯正視力1.2でした。
遠視に関しては生理的なもの(年齢が上がると消失し、その後近視になるらしい)で
遠視が消えた段階の乱視の状況を見極めたいが その後は近医でのフォローで、ということになりました。
まぶたについては・・・ここ数年、まぶたの重さが増してきて
若干、顎をあげて物を見るようになっている、とのこと。
ことばのニュアンスからは 今手術をしてもいいくらい というところのようです。
毎日見ている親はあまりその変化に気づかずにいましたが、
そういえば 顎を突き出すようなときは あります。
ただ、肝心の本人は、現在の状況にまったく不都合を感じていませんで。
今後、再手術をするとしたら、「本人がそれを望むとき」という点についても変更なく。
次回の受診は1年後 もしくは本人が再手術を望むときということになります。
今回は、個人的な「わが子の記録」でした。
2011年08月15日
2011年05月21日
「受診勧告」書のおはなし
おーばです。
前回、学校で眼瞼下垂を指摘された話を書きました。
今日はその後日談です。
小学校に行く用事があったので、養護教諭の先生にお話をお伺いしてきました。
先日渡された「眼科検診の結果のお知らせ」は
学校内部での呼び名は「受診勧告」というそうです(なので、問題のあるご家庭だけに配布されます)。
「受診勧告」の通知は、とってもデリケートな問題を含んでいるので
私がお話をお伺いしに行ったとき
養護の先生は ひどく身構えていらっしゃるように見えました。
我が家の場合は、すでに診断を受け、治療もしているしこの病気との付き合い方もわかっている(つもり)なので 用紙をもらってもぜんぜん平気だったのですが
なかには(眼瞼下垂に限りませんが)
学校からもらった受診勧告で 初めて病気と知る ケースもあるようで、
その際に、スムーズに「受け入れられる人もいれば
ショックを受けたり ひどく落ち込んだりする人もいるようです。
養護の先生はおっしゃらなかったけれど、
勧告に対して不服を感じれば 学校を攻撃するケースだってあるかもしれません。
受診勧告には
受診を勧めますということと
その結果を教えてくださいということが書かれています。
ただし 強制力はないので
学校から用紙をもらったからと言って「絶対に受診しなきゃならない」というものでもありません。
あとは個々のご家庭の判断によるといえるでしょう。
おや?と思う症状がみつかったとしても
程度が軽ければ勧告通知は出さないこともあるようですし
そのあたりは、診察をする校医の判断によるのだそうです。
受診勧告に押されたゴム印についてもお聞きしましたが、
あれば学校の備品だそうです。(なーんだ)
つまり学校には 眼瞼下垂に限らず いろんな疾患名・症状名のゴム印が常備されているんだということ
そして 養護の先生のことばや表情から、
「眼瞼下垂はそれほど珍しい疾患ではない」と 改めて感じました。
もちろん ひとりひとりにとっては とっても大きな問題であることに変わりないのですが。
さて、
お子さんの「疾患」が見つかることが なんで微妙な問題になるのかというと
それは「親の複雑な心情」が重なるから なのだろうと思います。
このブログでも繰り返しとりあげていますが、
母親は わが子の病気や疾患に向き合うとき たいてい、一番最初に
「わが子をちゃんと産んであげられなかった責任」を感じてしまうものです。
このときに、身内がフォローしてあげればよいのですが
一昔前まで 夫や祖父母に生んだ子の責任は母親にあると 断罪されるケースがあり、
母親は もう立つ瀬がないくらいに 突き落とされるんですよ。
そういった孤立無援の状態になってしまうと、母親自身が自分の子の疾患を受容しにくくなってしまうし
そういった心情は、患者であるその人のお子さんにも向けられてしまうという
そんなこともおきたりするんですね まぁ、これは極端なケースですが。
学校も、一枚の受診勧告の通知には そういった重い意味がこもることがあるのを知っているので
その対応には とても気をつけていらっしゃるんだろうと
そんなことに考えながら 学校から帰ってきたのでした。
前回、学校で眼瞼下垂を指摘された話を書きました。
今日はその後日談です。
小学校に行く用事があったので、養護教諭の先生にお話をお伺いしてきました。
先日渡された「眼科検診の結果のお知らせ」は
学校内部での呼び名は「受診勧告」というそうです(なので、問題のあるご家庭だけに配布されます)。
「受診勧告」の通知は、とってもデリケートな問題を含んでいるので
私がお話をお伺いしに行ったとき
養護の先生は ひどく身構えていらっしゃるように見えました。
我が家の場合は、すでに診断を受け、治療もしているしこの病気との付き合い方もわかっている(つもり)なので 用紙をもらってもぜんぜん平気だったのですが
なかには(眼瞼下垂に限りませんが)
学校からもらった受診勧告で 初めて病気と知る ケースもあるようで、
その際に、スムーズに「受け入れられる人もいれば
ショックを受けたり ひどく落ち込んだりする人もいるようです。
養護の先生はおっしゃらなかったけれど、
勧告に対して不服を感じれば 学校を攻撃するケースだってあるかもしれません。
受診勧告には
受診を勧めますということと
その結果を教えてくださいということが書かれています。
ただし 強制力はないので
学校から用紙をもらったからと言って「絶対に受診しなきゃならない」というものでもありません。
あとは個々のご家庭の判断によるといえるでしょう。
おや?と思う症状がみつかったとしても
程度が軽ければ勧告通知は出さないこともあるようですし
そのあたりは、診察をする校医の判断によるのだそうです。
受診勧告に押されたゴム印についてもお聞きしましたが、
あれば学校の備品だそうです。(なーんだ)
つまり学校には 眼瞼下垂に限らず いろんな疾患名・症状名のゴム印が常備されているんだということ
そして 養護の先生のことばや表情から、
「眼瞼下垂はそれほど珍しい疾患ではない」と 改めて感じました。
もちろん ひとりひとりにとっては とっても大きな問題であることに変わりないのですが。
さて、
お子さんの「疾患」が見つかることが なんで微妙な問題になるのかというと
それは「親の複雑な心情」が重なるから なのだろうと思います。
このブログでも繰り返しとりあげていますが、
母親は わが子の病気や疾患に向き合うとき たいてい、一番最初に
「わが子をちゃんと産んであげられなかった責任」を感じてしまうものです。
このときに、身内がフォローしてあげればよいのですが
一昔前まで 夫や祖父母に生んだ子の責任は母親にあると 断罪されるケースがあり、
母親は もう立つ瀬がないくらいに 突き落とされるんですよ。
そういった孤立無援の状態になってしまうと、母親自身が自分の子の疾患を受容しにくくなってしまうし
そういった心情は、患者であるその人のお子さんにも向けられてしまうという
そんなこともおきたりするんですね まぁ、これは極端なケースですが。
学校も、一枚の受診勧告の通知には そういった重い意味がこもることがあるのを知っているので
その対応には とても気をつけていらっしゃるんだろうと
そんなことに考えながら 学校から帰ってきたのでした。
2011年05月20日
学校で眼瞼下垂と診断されたお話。
おーばです。
今回は、一“患者の母親”としての雑感を書くことに致します。
次男(10歳)が小学校から帰ってきて 一枚のプリントを渡してくれました。
その日おこなった 眼科検診で要チェックの人のみに渡されるプリントです。
そのプリントによると
眼科検診の結果 眼瞼下垂(左) と診断されました。
とありました。
…いや、知ってるし、もう8年も前に手術してるし。(^^;
意外だなあと思ったのは、
次男は今年5年生ですが、5年目にして初めてそんなプリントを持ってきたのですょ。
入学時には健康状態を記入する書類などがいろいろあって
そのたびに「先天性眼瞼下垂・手術済み」と書いていましたが
校医の先生も替わるし 養護教諭も担任も 代わってゆきます
私も息子も今現在は 眼瞼下垂が生活上の問題になっていることはありませんので
そういえば 今年度の個人調査票にも 特に書いていなかったなあ と思いました。
次男も「みんなはあっという間に検診がおわるけど 僕だけ微妙に長いこと先生に診られた。
やっぱり がんけんかすいのせいなのかなあ」って暢気に言う。
・・・ねえ プリントにそう書いてあるじゃないのよ(笑)
手術しているとはいえ 目の大きさの左右差はあるので
眼科医の先生に発見していただけたのは ま、ありがたいことかな?とも思う。
校医の診察で 治療が必要な疾患であることを発見される人だって
決して少なくないのかもしれない と感じました。
そこで きちんとした治療を開始できるとしたら
これはありがたいことだなぁと。
それよりも「ほ〜っ」と思ったのは、
「眼瞼下垂」というゴム印が そのプリントには捺印されていたのです。
初めて見ました。
ゴム印を用意したくなるくらい
眼瞼下垂って 良くある疾患なんだということですよ。
これにはちょっと目からウロコが落ちた思いが致しました。
次男が生まれたときは こんな病気うちの子しかいないんじゃないのかって思いましたけど。
(その後 たくさんの仲間に出会って そんなことはない!って思いましたけど)
仲間が多いのならば
その仲間のための活動を 今まで以上にしっかりとやってゆかなくちゃなあ
って
押されたゴム印の文字を 何度も見ていたのでした。
ちなみに
学校の眼科検診は
プール授業に支障がないかどうかを判別するために行われる側面もあるのですが
うちの子は2歳8ヶ月のときに手術をしましたが
3歳の後半から、スイミングスクールに通い続けています。
そっちのほうも ぜんぜん問題ないでーす(^^)
今回は、一“患者の母親”としての雑感を書くことに致します。
次男(10歳)が小学校から帰ってきて 一枚のプリントを渡してくれました。
その日おこなった 眼科検診で要チェックの人のみに渡されるプリントです。
そのプリントによると
眼科検診の結果 眼瞼下垂(左) と診断されました。
とありました。
…いや、知ってるし、もう8年も前に手術してるし。(^^;
意外だなあと思ったのは、
次男は今年5年生ですが、5年目にして初めてそんなプリントを持ってきたのですょ。
入学時には健康状態を記入する書類などがいろいろあって
そのたびに「先天性眼瞼下垂・手術済み」と書いていましたが
校医の先生も替わるし 養護教諭も担任も 代わってゆきます
私も息子も今現在は 眼瞼下垂が生活上の問題になっていることはありませんので
そういえば 今年度の個人調査票にも 特に書いていなかったなあ と思いました。
次男も「みんなはあっという間に検診がおわるけど 僕だけ微妙に長いこと先生に診られた。
やっぱり がんけんかすいのせいなのかなあ」って暢気に言う。
・・・ねえ プリントにそう書いてあるじゃないのよ(笑)
手術しているとはいえ 目の大きさの左右差はあるので
眼科医の先生に発見していただけたのは ま、ありがたいことかな?とも思う。
校医の診察で 治療が必要な疾患であることを発見される人だって
決して少なくないのかもしれない と感じました。
そこで きちんとした治療を開始できるとしたら
これはありがたいことだなぁと。
それよりも「ほ〜っ」と思ったのは、
「眼瞼下垂」というゴム印が そのプリントには捺印されていたのです。
初めて見ました。
ゴム印を用意したくなるくらい
眼瞼下垂って 良くある疾患なんだということですよ。
これにはちょっと目からウロコが落ちた思いが致しました。
次男が生まれたときは こんな病気うちの子しかいないんじゃないのかって思いましたけど。
(その後 たくさんの仲間に出会って そんなことはない!って思いましたけど)
仲間が多いのならば
その仲間のための活動を 今まで以上にしっかりとやってゆかなくちゃなあ
って
押されたゴム印の文字を 何度も見ていたのでした。
ちなみに
学校の眼科検診は
プール授業に支障がないかどうかを判別するために行われる側面もあるのですが
うちの子は2歳8ヶ月のときに手術をしましたが
3歳の後半から、スイミングスクールに通い続けています。
そっちのほうも ぜんぜん問題ないでーす(^^)
2011年03月30日
いろんな「不安」はつながっている、というお話。
おーばです。
ブログの記事を書くのは 約2週間ぶりになってしまいました。
大地震からは 20日目
私は神奈川に住んでいて、大きなゆれは経験したもののライフラインに損傷はなくすごしております。
それでも 計画停電や放射線被曝のことは毎日の生活に直結する問題として
「なんとなく不安な毎日」を 送ってます。
毎日 テレビを見ています。
信じられないような現実に直面し、
日々大量に、新たにあふれてくる情報を処理しきれず、
がんばろうという気持ちと がんばり切れない自分とのギャップに落ち込み・・・。
そんな毎日の中で 感じたことです。
地震に直面して、そこから復興しようと立ち上がる過程って
病気や事故に遭遇し その状況から一歩歩き出すまでの過程と、よく似ているって思いました。
・・・こんなことを書くと「あんたは何でも眼瞼下垂に結びつける!」といわれてしまいそうですが。
ひとつには
「適切な情報を得られないという不安」
今回の震災にともなって 原発の事故が毎日報道されていましたが
専門的な言葉の羅列は たとえ具体的な言葉をもってしても
「…で、結局安心なの?危険なの? 私たちはどうするべきなの?」という疑問に答えていただかないと」
安心の材料には なりえませんでした。
専門家の言葉をわかりやすく伝えてくれる人がいないと なかなか判断しにくいものです。
「本当らしい情報」に惑わされる といった事態も起きました。
大きな火災の周辺で 毒性のある物質が・・・ というチェーンメールがかなり回ってしまったときには
普段、冷静に対応している人でも 信用して ほかの人に伝えしてしまったりしました。
それだけ みんな不安だったり 浮き足だったりしていたってことなんですよね。
コンビ二の商品陳列棚が空っぽになってしまった様を見た人は
それだけで ちょっとした危機感を持ってしまいます。
次に入荷したときに、いつもよりも大目にその商品を買っておきたくなるかもしれません。
もやしや納豆が、いつまでも店頭に並ばない。
メーカーが被災して、復旧にしばらくじかんがかかってしまった。ってことがわかるまでは
ただただ 不安なんですよ。理由がわかると ちょっとホッとする
いつころから入荷するっていうのがわかれば その日店頭に並んでいなくても 納得できる。
毎日の大量のニュース、原発の不安、停電の不安は
多かれ少なかれ 私たちの精神を 不安定にさせていると思います。
その一方 被災された方のことを考えると、『実質の被害がないのに不安になるなんて』と、
ちょっと自分を責めてしまうような気分になってしまう人はいませんでしたか?
なにか ちょっとでも役に立ちたいのに
何にもできない無力な自分に、もどかしさを感じたりする人は 多かったのではないでしょうか?
・・・私もまた そういう 無力な人で ありました。
自分だけが無力だと思うと 本当にやりきれなくなりますが
あえて そんな自分を許してあげると ちょっと楽になります。
愚痴ってみたり 思い切って一回泣いてみる。
それですっきりできる場合もある
ひとりでいるよりは だれかとともにいるといい
なかまがいるという安心感や 案外みんなもおんなじように考えているってわかると
心が軽くなったりもする・・・気がしています。
苦しんでいる人がいるのに 笑っちゃいけないって感じることもあるけれど
かえって しんどい土地にいる人たちのほうが がんばって 声上げたり笑い飛ばしたりしているし、
支える側が元気じゃないと 支えられる側だって 安心できないよね。
長くなったけれど もうひとつ。
特に小さい子を育てている人は 親は絶対的な安心を与えられる存在でいたいよね。
特別な任務なんか ない。
こどもにとって 安心できる存在でいてほしい。
不自由な生活を強いられている場合でも
親は「わが子にはできるだけ不自由な思いをさせたくない」ってがんばるよね。
その頑張りを通そうとするために どうか しかめっ面には ならないで欲しいです。
ちょっとの不自由よりは 「笑顔」をお子さんには見せてあげるほうが
お子さんは 安心します。
思いつくままにいろいろ書きましたが
「受け入れ難い現実」を受け入れるには、ある程度の時間が必要。
適切な情報はかかせなくって
「さきの見通し」を持つことができるのは 次に一歩踏み出すために 何よりも大切
これは 震災に遭ったときも 眼瞼下垂と向き合うときも
まったく一緒です。
そして、
孤独な戦いは辛いものですが、分かり合える仲間とともに
協力し合って進んでゆくことで なんとか乗り越えてゆける。
これも おんなじだなーって思っているところ、です。
ブログの記事を書くのは 約2週間ぶりになってしまいました。
大地震からは 20日目
私は神奈川に住んでいて、大きなゆれは経験したもののライフラインに損傷はなくすごしております。
それでも 計画停電や放射線被曝のことは毎日の生活に直結する問題として
「なんとなく不安な毎日」を 送ってます。
毎日 テレビを見ています。
信じられないような現実に直面し、
日々大量に、新たにあふれてくる情報を処理しきれず、
がんばろうという気持ちと がんばり切れない自分とのギャップに落ち込み・・・。
そんな毎日の中で 感じたことです。
地震に直面して、そこから復興しようと立ち上がる過程って
病気や事故に遭遇し その状況から一歩歩き出すまでの過程と、よく似ているって思いました。
・・・こんなことを書くと「あんたは何でも眼瞼下垂に結びつける!」といわれてしまいそうですが。
ひとつには
「適切な情報を得られないという不安」
今回の震災にともなって 原発の事故が毎日報道されていましたが
専門的な言葉の羅列は たとえ具体的な言葉をもってしても
「…で、結局安心なの?危険なの? 私たちはどうするべきなの?」という疑問に答えていただかないと」
安心の材料には なりえませんでした。
専門家の言葉をわかりやすく伝えてくれる人がいないと なかなか判断しにくいものです。
「本当らしい情報」に惑わされる といった事態も起きました。
大きな火災の周辺で 毒性のある物質が・・・ というチェーンメールがかなり回ってしまったときには
普段、冷静に対応している人でも 信用して ほかの人に伝えしてしまったりしました。
それだけ みんな不安だったり 浮き足だったりしていたってことなんですよね。
コンビ二の商品陳列棚が空っぽになってしまった様を見た人は
それだけで ちょっとした危機感を持ってしまいます。
次に入荷したときに、いつもよりも大目にその商品を買っておきたくなるかもしれません。
もやしや納豆が、いつまでも店頭に並ばない。
メーカーが被災して、復旧にしばらくじかんがかかってしまった。ってことがわかるまでは
ただただ 不安なんですよ。理由がわかると ちょっとホッとする
いつころから入荷するっていうのがわかれば その日店頭に並んでいなくても 納得できる。
毎日の大量のニュース、原発の不安、停電の不安は
多かれ少なかれ 私たちの精神を 不安定にさせていると思います。
その一方 被災された方のことを考えると、『実質の被害がないのに不安になるなんて』と、
ちょっと自分を責めてしまうような気分になってしまう人はいませんでしたか?
なにか ちょっとでも役に立ちたいのに
何にもできない無力な自分に、もどかしさを感じたりする人は 多かったのではないでしょうか?
・・・私もまた そういう 無力な人で ありました。
自分だけが無力だと思うと 本当にやりきれなくなりますが
あえて そんな自分を許してあげると ちょっと楽になります。
愚痴ってみたり 思い切って一回泣いてみる。
それですっきりできる場合もある
ひとりでいるよりは だれかとともにいるといい
なかまがいるという安心感や 案外みんなもおんなじように考えているってわかると
心が軽くなったりもする・・・気がしています。
苦しんでいる人がいるのに 笑っちゃいけないって感じることもあるけれど
かえって しんどい土地にいる人たちのほうが がんばって 声上げたり笑い飛ばしたりしているし、
支える側が元気じゃないと 支えられる側だって 安心できないよね。
長くなったけれど もうひとつ。
特に小さい子を育てている人は 親は絶対的な安心を与えられる存在でいたいよね。
特別な任務なんか ない。
こどもにとって 安心できる存在でいてほしい。
不自由な生活を強いられている場合でも
親は「わが子にはできるだけ不自由な思いをさせたくない」ってがんばるよね。
その頑張りを通そうとするために どうか しかめっ面には ならないで欲しいです。
ちょっとの不自由よりは 「笑顔」をお子さんには見せてあげるほうが
お子さんは 安心します。
思いつくままにいろいろ書きましたが
「受け入れ難い現実」を受け入れるには、ある程度の時間が必要。
適切な情報はかかせなくって
「さきの見通し」を持つことができるのは 次に一歩踏み出すために 何よりも大切
これは 震災に遭ったときも 眼瞼下垂と向き合うときも
まったく一緒です。
そして、
孤独な戦いは辛いものですが、分かり合える仲間とともに
協力し合って進んでゆくことで なんとか乗り越えてゆける。
これも おんなじだなーって思っているところ、です。
2011年03月15日
こんなときこそ 笑顔が大切。
おーばです
眼瞼下垂の方や そのご家族へのメッセージを 日ごろは書いておりますが、
今日はすべての方へのメッセージ
3月11日の 東北関東大震災では 本当に多くの人がその被害に遭われました。
いまだ 安否のわからない人もとても多く
お亡くなりになった方や お怪我をされたかた
大切な方と離れ離れになっていらっしゃるかた
日常を奪われたかた
不便を強いられているかた
被災者の支援に全力を挙げてがんばっていらっしゃるかた
皆様に、心からのお見舞いを申し上げます
日本全体が深い悲しみに覆われているような 日々です。
こんなときに楽しんだり 笑ったりすることが 不謹慎だと思う人もいるかもしれませんが
でも こんなときこそ ホッとするひとときが必要だと思います。
みなさんの置かれている状況は様々と思いますが
日常を 大切にしたいですね
特に
お子さんと過ごす人は 笑顔でいてほしいです。
深呼吸すること
口元を上げて 笑顔を作ること。
今はみんなが先が見えなくって不安なときですが
心を落ち着けて 心を穏やかにするように努めて、過ごしたいですね。
記事を書くことのできる状況に感謝します
お読みいただいて ありがとうございます。
眼瞼下垂の方や そのご家族へのメッセージを 日ごろは書いておりますが、
今日はすべての方へのメッセージ
3月11日の 東北関東大震災では 本当に多くの人がその被害に遭われました。
いまだ 安否のわからない人もとても多く
お亡くなりになった方や お怪我をされたかた
大切な方と離れ離れになっていらっしゃるかた
日常を奪われたかた
不便を強いられているかた
被災者の支援に全力を挙げてがんばっていらっしゃるかた
皆様に、心からのお見舞いを申し上げます
日本全体が深い悲しみに覆われているような 日々です。
こんなときに楽しんだり 笑ったりすることが 不謹慎だと思う人もいるかもしれませんが
でも こんなときこそ ホッとするひとときが必要だと思います。
みなさんの置かれている状況は様々と思いますが
日常を 大切にしたいですね
特に
お子さんと過ごす人は 笑顔でいてほしいです。
深呼吸すること
口元を上げて 笑顔を作ること。
今はみんなが先が見えなくって不安なときですが
心を落ち着けて 心を穏やかにするように努めて、過ごしたいですね。
記事を書くことのできる状況に感謝します
お読みいただいて ありがとうございます。
2010年08月26日
10歳の誕生日に 思う。
大場です
先日、私の次男が10歳の誕生日を迎えました。
ちょっとしみじみしますね。
もし この子が眼瞼下垂のない状態で生まれていたら・・・。
このブログ記事を書いている私はいなかったんです。
大学院の修士論文なんて書いていなかっただろうし
心理学の勉強もしていなかっただろうし
患者支援のことなんて 全然眼中になかったかもしれないし
ごく普通の看護師? 普通の主婦でいたかもしれないと思うんです。
とにかく 今のわたしとは全然別の人生をいきていたことでしょう。
・・・それは とっても退屈な人生だったかもしれません。
困難があるのは「有難い」人生
困難がないのは「無難な」人生 という言葉がありますね。
こうしてみると 私はとっても有難い人生を歩ませていただいていると
そう、思います
それでいて 私は 今の自分が困難であるとは 思っていないんです。
家族が笑って過ごせていますし
生活に困窮している状態ではない
自分が困ったときには 手を差し伸べてくれる人が何人もいる
そういう意味でも「ありがたい」人生だと思っています。
もう何年も前に 当時10代の女性が私にメールをくれました。その中に
「私の母は『あなたが眼瞼下垂を持って生まれてきたことにはきっと意味がある。お母さんにもその意味はまだわからない。どういう意味があるかは、あなた自身で見つけてね』といってくれました。いわれたときには良くわからなかったけれど、今は母に感謝しています」と書いていました。
これを読んだ当時の私は 幼いわが子を抱えてて、目の前の問題に精一杯で、
そんな境地にはとても立てなかったのですが、今なら 言葉の意味が少しはわかる気がします。
感じることは さまざまにありますが
次男よ 私のところに 眼瞼下垂をもって生まれてきてくれてありがとうと、素直にそう思っています。
10年経って 親としては穏やかな気持ち過ごせていることにも感謝です。
今回は 本当に私的な日記でした。
たまには こんな記事も ・・・いいですかね。
先日、私の次男が10歳の誕生日を迎えました。
ちょっとしみじみしますね。
もし この子が眼瞼下垂のない状態で生まれていたら・・・。
このブログ記事を書いている私はいなかったんです。
大学院の修士論文なんて書いていなかっただろうし
心理学の勉強もしていなかっただろうし
患者支援のことなんて 全然眼中になかったかもしれないし
ごく普通の看護師? 普通の主婦でいたかもしれないと思うんです。
とにかく 今のわたしとは全然別の人生をいきていたことでしょう。
・・・それは とっても退屈な人生だったかもしれません。
困難があるのは「有難い」人生
困難がないのは「無難な」人生 という言葉がありますね。
こうしてみると 私はとっても有難い人生を歩ませていただいていると
そう、思います
それでいて 私は 今の自分が困難であるとは 思っていないんです。
家族が笑って過ごせていますし
生活に困窮している状態ではない
自分が困ったときには 手を差し伸べてくれる人が何人もいる
そういう意味でも「ありがたい」人生だと思っています。
もう何年も前に 当時10代の女性が私にメールをくれました。その中に
「私の母は『あなたが眼瞼下垂を持って生まれてきたことにはきっと意味がある。お母さんにもその意味はまだわからない。どういう意味があるかは、あなた自身で見つけてね』といってくれました。いわれたときには良くわからなかったけれど、今は母に感謝しています」と書いていました。
これを読んだ当時の私は 幼いわが子を抱えてて、目の前の問題に精一杯で、
そんな境地にはとても立てなかったのですが、今なら 言葉の意味が少しはわかる気がします。
感じることは さまざまにありますが
次男よ 私のところに 眼瞼下垂をもって生まれてきてくれてありがとうと、素直にそう思っています。
10年経って 親としては穏やかな気持ち過ごせていることにも感謝です。
今回は 本当に私的な日記でした。
たまには こんな記事も ・・・いいですかね。
2010年06月28日
【眼瞼下垂ブログ】発言できない人の気持ち。
大場です。
眼瞼下垂にまつわるいろいろなことを
お話しています。
先日、「先天性眼瞼下垂」の当事者2名とお会いして、
今後の眼瞼下垂の方がたを支える仕組みのあり方について、熱く語り合いました (^^)
そのなかで
「わかっていたつもり」だったのだけれど、見過ごしていたことを
思い知らされることになりました。
それは、
発言できる人たちばかりではないってこと。
当事者は匿名でありたいと思うことも多い ということです。
もちろん全員がそうではないのだけれど・・・
いろいろなコンプレックスに悩む人にとって、
悩んでいる自分を他人に晒す(さらす)ことは避けたいです。
なんとか隠せるものならば、隠したいです。
場合によっては 親にも話せないような
深い深い 悩みを 胸に秘めたまま毎日を生きています。
たぶん
人一倍たくさんの情報を得たいと思い願っているはずです。
だけど メールを書いたり、掲示板に書いたりすることは
ものすごく 勇気が要ることだし
自分のことを発信できない人のほうがむしろ多いのかもしれない
という事実です。
明らかに 自分に欠けている 視点でした。
そのことに気づかせていただきました。
いままでの私は、そういう人たちの思いを
思いやってあげられない部分も、ずいぶんあったのではないのかな。
ふと気がつくと
少し「上から目線」になっていた自分に気づかされました。
まだまだ未熟な自分を自覚しつつ・・・。
これからも
誠心誠意 おひとりおひとりと 真剣に向き合いながら
この病気の問題を 一緒に考えてゆける存在でありたいと
そう思いました。
眼瞼下垂にまつわるいろいろなことを
お話しています。
先日、「先天性眼瞼下垂」の当事者2名とお会いして、
今後の眼瞼下垂の方がたを支える仕組みのあり方について、熱く語り合いました (^^)
そのなかで
「わかっていたつもり」だったのだけれど、見過ごしていたことを
思い知らされることになりました。
それは、
発言できる人たちばかりではないってこと。
当事者は匿名でありたいと思うことも多い ということです。
もちろん全員がそうではないのだけれど・・・
いろいろなコンプレックスに悩む人にとって、
悩んでいる自分を他人に晒す(さらす)ことは避けたいです。
なんとか隠せるものならば、隠したいです。
場合によっては 親にも話せないような
深い深い 悩みを 胸に秘めたまま毎日を生きています。
たぶん
人一倍たくさんの情報を得たいと思い願っているはずです。
だけど メールを書いたり、掲示板に書いたりすることは
ものすごく 勇気が要ることだし
自分のことを発信できない人のほうがむしろ多いのかもしれない
という事実です。
明らかに 自分に欠けている 視点でした。
そのことに気づかせていただきました。
いままでの私は、そういう人たちの思いを
思いやってあげられない部分も、ずいぶんあったのではないのかな。
ふと気がつくと
少し「上から目線」になっていた自分に気づかされました。
まだまだ未熟な自分を自覚しつつ・・・。
これからも
誠心誠意 おひとりおひとりと 真剣に向き合いながら
この病気の問題を 一緒に考えてゆける存在でありたいと
そう思いました。
2010年06月21日
眼瞼下垂で もうひとつ
大場です。
とっても地味な変化ですが、このたびハンドルネームの「おーば」から
本名の大場美津子で、このブログを書くことに致しました。
要は、自分の書く文章に、もう少し責任を持とうと思ったのです。
まあ
いままでどおり 愛称は「おーばさん」で。
さて。
私は、ネット上で患者会活動をスタートさせました。
いまは患者さんやご家族と直接お会いしたり
当事者同士の交流を推進する活動に力を入れています。
本当は、それ以外にも「やらなくちゃ」と思いつつ
後回しにしてしまったことがあります。
それは、眼瞼下垂の本を作ることです。
もちろん医療者向けの本はあるし
医師が書いた眼瞼下垂の治療に関する本はこれまでにもあったのですが・・・
患者の立場から書いた本は ありませんでしたから。
ここ5年くらい、胸の奥では ずっとくすぶり続けていたのですが
本を書く 本を出すという件を考えるたびに 消極的になってしまい
本腰をいれられずにいました。
だれからのオファーがあるわけでもなく
何人の人に読んでもらえるかもわからず。
でも、
やっぱり本は出そう!って決意しました。
で、一人でも多くの人に読んでもらえるようにがんばってみようって
国会図書館に所蔵してもらえる本を、一冊残したい。
(基本的にどんな本だって国会図書館には所蔵されるんですけど)
あ、でもその前に 大学院を修了しないと。
修士論文。まずは これを仕上げること・・・。
やりたいことは いっぱいあります。
でも ひとりでは出来ないことばかりです。
みんなにたすけてもらいながら ひとつひとつを
成し遂げていけたら… 思う今日このごろです。
とっても地味な変化ですが、このたびハンドルネームの「おーば」から
本名の大場美津子で、このブログを書くことに致しました。
要は、自分の書く文章に、もう少し責任を持とうと思ったのです。
まあ
いままでどおり 愛称は「おーばさん」で。
さて。
私は、ネット上で患者会活動をスタートさせました。
いまは患者さんやご家族と直接お会いしたり
当事者同士の交流を推進する活動に力を入れています。
本当は、それ以外にも「やらなくちゃ」と思いつつ
後回しにしてしまったことがあります。
それは、眼瞼下垂の本を作ることです。
もちろん医療者向けの本はあるし
医師が書いた眼瞼下垂の治療に関する本はこれまでにもあったのですが・・・
患者の立場から書いた本は ありませんでしたから。
ここ5年くらい、胸の奥では ずっとくすぶり続けていたのですが
本を書く 本を出すという件を考えるたびに 消極的になってしまい
本腰をいれられずにいました。
だれからのオファーがあるわけでもなく
何人の人に読んでもらえるかもわからず。
でも、
やっぱり本は出そう!って決意しました。
で、一人でも多くの人に読んでもらえるようにがんばってみようって
国会図書館に所蔵してもらえる本を、一冊残したい。
(基本的にどんな本だって国会図書館には所蔵されるんですけど)
あ、でもその前に 大学院を修了しないと。
修士論文。まずは これを仕上げること・・・。
やりたいことは いっぱいあります。
でも ひとりでは出来ないことばかりです。
みんなにたすけてもらいながら ひとつひとつを
成し遂げていけたら… 思う今日このごろです。
2010年06月16日
【眼瞼下垂ブログ】当事者を支える当事者の苦悩。
おーばです。
今日は眼瞼下垂という病気を越えて
疾患サイトを運営し、当事者や家族を支える立場の人間としての
つぶやき。
7ねんほど前に、「先天性眼瞼下垂」のサイトを立ち上げたときに
想定以上に多かったのは
ワタシとおなじような「先天性眼瞼下垂の子」をもつ親からの相談でした。相談を受けた私自身も悩みこんでしまうような深刻な悩み事を相談されることが多かったです。
そしてそれよりさらに深刻だったのは
「眼瞼下垂当事者」からの 相談。
メールのやりとりだけでは限界を感じましたし
まして それほどまでに辛い内容にたいして
「どうやって返すべきか」が見えない状態になってしまい
・・・一時は活動を続けること自体をやめてしまおうかと思ったこともありました。
ワタシの場合 そこでカウンセリングの手法を学ぶという暴挙に出ることができましたが、そういう行動に出ることができる人は
まれであると思っています。
ワタシは たまたま 看護師の資格を持っていた
そのことが妙な使命感につながってしまったのだと思います。
疾患サイトを作ったら 深刻な悩みを持ちかけられて
そのことに苦悩する管理者、運営者は多いと思うのです。
私は、そんな苦悩する管理者の負担を
減らしてあげられるような仕組みづくりができないかと
思っています。
管理者が抱えきれない悩み、
自分には荷が大きすぎる相談事の対処方法を
いっしょに解決できるようにコーディネイトする
それは
私の仕事のひとつになるかもしれないと 感じています。
今日は眼瞼下垂という病気を越えて
疾患サイトを運営し、当事者や家族を支える立場の人間としての
つぶやき。
7ねんほど前に、「先天性眼瞼下垂」のサイトを立ち上げたときに
想定以上に多かったのは
ワタシとおなじような「先天性眼瞼下垂の子」をもつ親からの相談でした。相談を受けた私自身も悩みこんでしまうような深刻な悩み事を相談されることが多かったです。
そしてそれよりさらに深刻だったのは
「眼瞼下垂当事者」からの 相談。
メールのやりとりだけでは限界を感じましたし
まして それほどまでに辛い内容にたいして
「どうやって返すべきか」が見えない状態になってしまい
・・・一時は活動を続けること自体をやめてしまおうかと思ったこともありました。
ワタシの場合 そこでカウンセリングの手法を学ぶという暴挙に出ることができましたが、そういう行動に出ることができる人は
まれであると思っています。
ワタシは たまたま 看護師の資格を持っていた
そのことが妙な使命感につながってしまったのだと思います。
疾患サイトを作ったら 深刻な悩みを持ちかけられて
そのことに苦悩する管理者、運営者は多いと思うのです。
私は、そんな苦悩する管理者の負担を
減らしてあげられるような仕組みづくりができないかと
思っています。
管理者が抱えきれない悩み、
自分には荷が大きすぎる相談事の対処方法を
いっしょに解決できるようにコーディネイトする
それは
私の仕事のひとつになるかもしれないと 感じています。
2010年06月05日
【眼瞼下垂ブログ】活動の原点を 見つけました
おーばです。
めずらしいものを発掘いたしました。
一般的に
インターネットの情報はどんどん更新されますから、
それ以前のものは 診ることはできないのですが
インターネットアーカイブというサイトには 過去のネット記事がそのまま残っているのです。
ためしに わたしの元のサイトを見てみると
一番古いのは9年前の6月6日に更新されたものでした。
一部は確認できなくなっていますが 思いのほか当時の状況がわかります。
見ていただけるとわかるのですが、眼瞼下垂のサイトじゃなくて
看護師であるわたしの趣味のサイト なんです。
ケアマネの試験を受けたのはこの年の秋のことだったなーとか
忘れてたことまで 思い出したし。
当時 次男はまだ0歳。
わたしは そのまえの月から職場復帰をしたところ。
でも ちゃんと眼瞼下垂のページを作っていたのが、おもしろい。
てさぐりだったけど
なんとかしようと もがき始めたころの話です。
今とは、状況はぜんぜん違うけど
このときは、このときで がんばっていたんだなーって 思う。
えらかったね。よくがんばったね。9年前のわたし。
めずらしいものを発掘いたしました。
一般的に
インターネットの情報はどんどん更新されますから、
それ以前のものは 診ることはできないのですが
インターネットアーカイブというサイトには 過去のネット記事がそのまま残っているのです。
ためしに わたしの元のサイトを見てみると
一番古いのは9年前の6月6日に更新されたものでした。
一部は確認できなくなっていますが 思いのほか当時の状況がわかります。
見ていただけるとわかるのですが、眼瞼下垂のサイトじゃなくて
看護師であるわたしの趣味のサイト なんです。
ケアマネの試験を受けたのはこの年の秋のことだったなーとか
忘れてたことまで 思い出したし。
当時 次男はまだ0歳。
わたしは そのまえの月から職場復帰をしたところ。
でも ちゃんと眼瞼下垂のページを作っていたのが、おもしろい。
てさぐりだったけど
なんとかしようと もがき始めたころの話です。
今とは、状況はぜんぜん違うけど
このときは、このときで がんばっていたんだなーって 思う。
えらかったね。よくがんばったね。9年前のわたし。