眼瞼下垂の患者支援活動をしているおーばです。
シリーズ企画「眼瞼下垂のおーばが語る『整形』のおはなし」
解決編にはいりまして、
8回目の今日は、『整形』と身近な人との付き合いについて書きます。
とはいえ、『整形』以前から仲良くつきあいをしている場合
手術をするということは「知られないわけがない」というか「避けては通れない」話ですね。
でも あなたのよき理解者であるひとは
あなたが何かのコンプレックスを解消する目的で『整形』するにしろ
別の目的があって顔を手術するにしろ まず、それを否定することはないと思います。
なぜでしょう。
それは『整形』することが問題なんじゃなくって
私の大切なあなたが苦しんでいたことが問題で、それを解決するための『整形』だってことを
ちゃんと理解してくれているからです。
さのプロセスをわかってくれる人には、『整形』したあなたも相談しやすいことでしょう。
さて、それでは
『整形』のあとで出会った人、自身の『整形』のことを知らせずに付き合いをしている人は
どう違うのでしょう?
そうですね、たとえば1年ほど前から仲良くなった友人がいるとしましょう。
彼(彼女)とは何のわだかまりもなく楽しく過ごしていたのに
ある日その人を古くから知る人に声をかけられて
「ねえ、あなたの友人の○○さん、『整形』してるのよ」と言われる。
こんな場面に出くわしたとしたら・・・。
ひとによって感じ方はさまざまだと思いますが、
私は2つの怒りを感じます
ひとつは、私に耳打ちをした人に対する怒り。
その耳打ちした人がどんな気持ちで私に第三者の『整形』を伝えたかは、わかりませんが
それは、他人がとやかく言うべき話だとは 到底思えません。
もうひとつは私の友人に対する怒り・・・というか
「言ってくれればいいのに、何で黙っていたの?」という気持ち。
自分には打ち明けてくれなかったという 寂しさから 来る気持ち。
言いにくかったのだろうと思うけど、
でも 言ってくれても良かったのに。
そしたら私はあなたの味方になれるんだから。
自分の気持ちを打ち明けることのできる相手は いてくれるとうれしい。
これは どんな人にもうなづいてもらえると思っている。
同性の友人でも、異性の友人でも、そして、恋人にも
大切に思っていればいるほど 相手の気持ちをわかってあげたくなる
そして 自分の気持ちをわかってほしくなる
・・・のでは?と思っています。
考えられる心配事として
あなたが打ち明けたことがきっかけで
その相手との関係がうまくいかなくなることがあるかもしれない。
でも、きっとその人とは その程度のご縁だったんだろうなって、
そう思う。
そんな風に思ってゆくと
「大切な人に、大切なことを言わないでいる」から、つらいってことが見えてくる。
言えたら楽なのに。
でも簡単にいえないから だから悩んでいるんですよね。
答えが見えにくいときには いろんな視点からみつめてみる。
そうすることで自分の悩みの全体像が見えてくると思います。
あとは、「一人で」考え込まない。
身近な友人がいない場合にも どこかに相談相手はいますから(電話相談もあるし ネット上にも)
そういう「相談相手」を上手に使って 自分の悩みを小さくして欲しいなと思います。
このシリーズも終盤になってきましたが
次回は「第三者の『整形』」について、思うことを書いてみようと思います。
眼瞼下垂の会(NPO法人・申請中)はプレ会員を募集しています。
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2011年09月12日
2011年09月11日
『整形』をめぐる親子の問題
眼瞼下垂の患者支援活動をしているおーばです。
シリーズ企画「眼瞼下垂のおーばが語る『整形』のおはなし」
7回目の今日は、ひきつづき解決編を書いてまいります。
今回は『整形』をめぐる親子の問題… です。
私が親子の関係のことを書き始めたら それだけで本が書けてしまうくらい、思うことはたくさんあります。
くどい部分もあると思いますが、ご了承ください。
それから、今回は『整形』のことというよりは、先天性眼瞼下垂のことを中心に書いてゆきますが
取り組む姿勢、考え方は つながっていると思っていますので
いろんな病気や症状の方も 参考にしていただけると 幸いです。
眼瞼下垂の治療には手術が不可欠なのですが、
当事者が手術をしたいと思うと、未成年であれば「親の承諾」が必要になりますし
先天性眼瞼下垂の場合は、生まれてから今までの経過を知ることが、治療する上でとても大切になります。
このとき、
家族に手術を受けたいということを言いにくいと思っている当事者が とても多いです。
これまで家の中でまぶたの話はタブーになっていた感じがある というご家庭もあるかもしれませんね。
自分の顔のことでいままでずっと気にしていたということ親に話すと親は悲しむだろうし、
親からどんなことをいわれるかわからない。
そして、自分のことで家族に迷惑をかけたり、心配させたくない
っていう気持ちの当事者さんがとても多いということを実感しています。
家族に知らせない形で手術に臨むかたも多いのですが、
まぶたの手術をすることに関しては とても危険だと私は思っています。
なぜなら小さいころに手術をしたことやその術式を無視して手術をすることで トラブルに見舞われる危険性が増してしまうからです。
つまり 赤ちゃんのころに一度行った手術についてよく理解しないまま 成長後にいざ手術をしてみると 予想もしていなかったことがわかった という話は多いのです。
実はこの問題の裏には、親の側にも複雑な心情があるものなのです。
わが子が誕生したときにまぶたにトラブルを抱えていると、親はその子の今後のことを思って悲しむし、なんとかしようとします。小さいころに手術をする場合も しない場合もありますが、どちらのケースでも「まぶたの問題」にはわが子に対する負い目を感じ続け、でもそのことはほかの誰にも相談できず、どうしようもない気持ちのままで その気持ちにも蓋をしてしまう。
でも こどものほうから切り出してくれるのを待っている親もいるんです。
だから 意を決してお子さんのほうから まぶたの手術のことを話し始めると
親は「その言葉を待っていた」とかいって 泣いたりするわけなんですが。
お互い、相手が大切だからこそ なかなか切り出せないでいるのかもしれません。
でも
まぶたの悩みを共有できている親子は、出来ていない親子に比べて治療もスムーズに進むし
なにしろお子さんが 親を信頼して 感謝する気持ちが強いのです。
(科学的に証明するのは難しいのですが、私の10年の活動の中でひしひしと感じている実感です)
私から言いたいことは、すっとおんなじ ひとつのことだけです。
おかあさんをはじめとする ご家族に対しては
お子さんの症状、病気のことはお母さんにとっても大きな問題であるし、大変辛くて目を背けたいかもしれないけれど、それはお子さんと一緒に考えたり、工夫したりするのがいい。決して隠すべき問題ではありません。
黙って抱え込もうとするのは百害あって一利なしです。
お子さん(当事者さん)に対して言いたいことは
親は、いい部分も悪い部分も どんなあなたも まるごとうけとめてくれる存在です。
親に迷惑かけたくないとか思わないで、ぶつかっていってください。
で、眼瞼下垂のことは 親はものすごくあなたに「申し訳ない」気持ちを持っていることが多かったりするんだけど、ここはもう はっきりと 「自分の人生なんだから、自分の好きにさせてもらうし
あんまり責任感じて落ち込まないでよ」とかね、自分の気持ちは ちゃんと言った方がいい。
親が子を思うがゆえに 言えないでいたり
子が親を思うがゆえに 言えないで
それで起こる悲しい出来事を わたしは ひとつでも多く減らしてゆきたいんです。
繰り返しますが 親子のあいだで眼瞼下垂の話はタブーにする必要はないし
治療には手術が必要なのだから、「いい手術」が出来るように親子で話をしてください。
次回は 場合によっては家族よりも大切な
友人や 恋人に 顔の手術のことをいかに話すか について考えて見ましょう。
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7回目の今日は、ひきつづき解決編を書いてまいります。
今回は『整形』をめぐる親子の問題… です。
私が親子の関係のことを書き始めたら それだけで本が書けてしまうくらい、思うことはたくさんあります。
くどい部分もあると思いますが、ご了承ください。
それから、今回は『整形』のことというよりは、先天性眼瞼下垂のことを中心に書いてゆきますが
取り組む姿勢、考え方は つながっていると思っていますので
いろんな病気や症状の方も 参考にしていただけると 幸いです。
眼瞼下垂の治療には手術が不可欠なのですが、
当事者が手術をしたいと思うと、未成年であれば「親の承諾」が必要になりますし
先天性眼瞼下垂の場合は、生まれてから今までの経過を知ることが、治療する上でとても大切になります。
このとき、
家族に手術を受けたいということを言いにくいと思っている当事者が とても多いです。
これまで家の中でまぶたの話はタブーになっていた感じがある というご家庭もあるかもしれませんね。
自分の顔のことでいままでずっと気にしていたということ親に話すと親は悲しむだろうし、
親からどんなことをいわれるかわからない。
そして、自分のことで家族に迷惑をかけたり、心配させたくない
っていう気持ちの当事者さんがとても多いということを実感しています。
家族に知らせない形で手術に臨むかたも多いのですが、
まぶたの手術をすることに関しては とても危険だと私は思っています。
なぜなら小さいころに手術をしたことやその術式を無視して手術をすることで トラブルに見舞われる危険性が増してしまうからです。
つまり 赤ちゃんのころに一度行った手術についてよく理解しないまま 成長後にいざ手術をしてみると 予想もしていなかったことがわかった という話は多いのです。
実はこの問題の裏には、親の側にも複雑な心情があるものなのです。
わが子が誕生したときにまぶたにトラブルを抱えていると、親はその子の今後のことを思って悲しむし、なんとかしようとします。小さいころに手術をする場合も しない場合もありますが、どちらのケースでも「まぶたの問題」にはわが子に対する負い目を感じ続け、でもそのことはほかの誰にも相談できず、どうしようもない気持ちのままで その気持ちにも蓋をしてしまう。
でも こどものほうから切り出してくれるのを待っている親もいるんです。
だから 意を決してお子さんのほうから まぶたの手術のことを話し始めると
親は「その言葉を待っていた」とかいって 泣いたりするわけなんですが。
お互い、相手が大切だからこそ なかなか切り出せないでいるのかもしれません。
でも
まぶたの悩みを共有できている親子は、出来ていない親子に比べて治療もスムーズに進むし
なにしろお子さんが 親を信頼して 感謝する気持ちが強いのです。
(科学的に証明するのは難しいのですが、私の10年の活動の中でひしひしと感じている実感です)
私から言いたいことは、すっとおんなじ ひとつのことだけです。
おかあさんをはじめとする ご家族に対しては
お子さんの症状、病気のことはお母さんにとっても大きな問題であるし、大変辛くて目を背けたいかもしれないけれど、それはお子さんと一緒に考えたり、工夫したりするのがいい。決して隠すべき問題ではありません。
黙って抱え込もうとするのは百害あって一利なしです。
お子さん(当事者さん)に対して言いたいことは
親は、いい部分も悪い部分も どんなあなたも まるごとうけとめてくれる存在です。
親に迷惑かけたくないとか思わないで、ぶつかっていってください。
で、眼瞼下垂のことは 親はものすごくあなたに「申し訳ない」気持ちを持っていることが多かったりするんだけど、ここはもう はっきりと 「自分の人生なんだから、自分の好きにさせてもらうし
あんまり責任感じて落ち込まないでよ」とかね、自分の気持ちは ちゃんと言った方がいい。
親が子を思うがゆえに 言えないでいたり
子が親を思うがゆえに 言えないで
それで起こる悲しい出来事を わたしは ひとつでも多く減らしてゆきたいんです。
繰り返しますが 親子のあいだで眼瞼下垂の話はタブーにする必要はないし
治療には手術が必要なのだから、「いい手術」が出来るように親子で話をしてください。
次回は 場合によっては家族よりも大切な
友人や 恋人に 顔の手術のことをいかに話すか について考えて見ましょう。
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2011年09月10日
納得するということの大切さ
眼瞼下垂の患者支援活動をしているおーばです。
シリーズ企画「眼瞼下垂のおーばが語る『整形』のおはなし」
6回目の今日は、いよいよ解決編に入ります。
今回は、納得するということの大切さ
について、お話してまいります。
「そうなのか!」とわかったり
「なるほどね。」と確認できると 気持ちがとっても落ち着きますね。
実は 納得するのって 結構大変なことだと思います。
時間もかかるし 自分でいろいろ調べてみる必要がある場合もある。
一度「よし!わかった」と思っても、「あれ、待てよ・・・」と思い返すこともある。
それぞれに 行きつ戻りつ 試行錯誤を繰り返した末に
これから自分がやってゆくことについても イメージできるようになってくるものだろうと思います。
それが「納得すること」だと思っています。
抽象的な話ばかりでは わかりにくいですね。
眼瞼下垂という病気のことについて言うならば、
その全体の姿を 理解し納得することは 本当に難しいことです。
この文章を書いている私にだって 知らないことやわからないことが、まだまだ出てくるのです。
ただ この文章を読んでくださっている おひとりおひとりが
それぞれに 自分なりにある程度 納得した状態になって
そしてその先に進んでほしいと 切実に、そう思います。
じゃあもっと 具体的に
私たちは どんなことを知っておかなければならないのでしょうか。
ひとつは 自分のカラダの状態を 知っておくことです。
まぶたが下がっているのはどれくらい前からのことで 自分は今までにこんな治療を受けてきた
(こんなふうに説明されてきた)・・・ということは 自分で把握しておき
治療してくれる人に伝えられるようにするのが なんといっても第一歩です。
わからない部分は 親に聞くのが一番だと思います(とりわけ、先天性眼瞼下垂の場合は)
もうひとつは 医師の言葉を 理解することです
たとえば 手術をするにあたっては
医師の見立てに基づいて 患者さんの今の状態と どんな手術をするか
その手術をすることによって どんなことが起きるか(メリット・デメリット)
は、最低でも説明するはずです。
でも その説明が ちゃんと理解出来るかどうかは 私たちにかかってきます。
まあ きちんと説明しない医師や
患者側の説明にきちんと答えられない医師は論外として。
つまり わからないのに「はいはい」と返事をして 承諾書にサインをし、
その後に何か問題が起こっても 医師の説明に「納得した」ことになっちゃうんです。
わかんないなあと思ったら その場で聞く。
あとで疑問に思うことが出てくるかもしれないけれど
手術をする前に 疑問や 不安は解消するのが鉄則。
何がわからないかもわからない、というのも言い訳にはならないから、患者側にも病気の知識は持ち合わせておく必要がある。
理解できなかったり 不安だったり 迷いがあったり という気持ちがあるのなら
手術はしてはいけないと思う。
そうしてもうひとつは
「完璧はない」と知ることです。
私たちは誰しも 自分自身が完璧だとは思っていないはずです。
どんな物事も 最善を尽くすことはあっても 100%の理想の状態なんてつくることはできない。
もし作れたとしても 時がたてば 私たちの心は さらにその上の理想を追い求めたくなります。
人によって 許せる範囲は異なるものですが
たとえば 手術後の自分の理想像を 極端に高く持っていってしまうと、
その後の現実が厳しくなっちゃうので
ここまで良くなれば オッケー というように思っておくほうが、納得しやすい気がします。
今回は、ところどころ かなり強い言葉を使いました。
それだけ この問題がシビアな話だからです。
行った手術を その前の状態にもどすことはできません。
みなさん
どうか、どうか
じぶんのカラダを 大切にしてください。
今回は自分自身のもんだいとして「納得」することの大切さと
どんなことをわかっておくべきかについて まとめてみました。
次回は、
身近な人と『整形』の付き合い方について書き進めてみます。
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シリーズ企画「眼瞼下垂のおーばが語る『整形』のおはなし」
6回目の今日は、いよいよ解決編に入ります。
今回は、納得するということの大切さ
について、お話してまいります。
「そうなのか!」とわかったり
「なるほどね。」と確認できると 気持ちがとっても落ち着きますね。
実は 納得するのって 結構大変なことだと思います。
時間もかかるし 自分でいろいろ調べてみる必要がある場合もある。
一度「よし!わかった」と思っても、「あれ、待てよ・・・」と思い返すこともある。
それぞれに 行きつ戻りつ 試行錯誤を繰り返した末に
これから自分がやってゆくことについても イメージできるようになってくるものだろうと思います。
それが「納得すること」だと思っています。
抽象的な話ばかりでは わかりにくいですね。
眼瞼下垂という病気のことについて言うならば、
その全体の姿を 理解し納得することは 本当に難しいことです。
この文章を書いている私にだって 知らないことやわからないことが、まだまだ出てくるのです。
ただ この文章を読んでくださっている おひとりおひとりが
それぞれに 自分なりにある程度 納得した状態になって
そしてその先に進んでほしいと 切実に、そう思います。
じゃあもっと 具体的に
私たちは どんなことを知っておかなければならないのでしょうか。
ひとつは 自分のカラダの状態を 知っておくことです。
まぶたが下がっているのはどれくらい前からのことで 自分は今までにこんな治療を受けてきた
(こんなふうに説明されてきた)・・・ということは 自分で把握しておき
治療してくれる人に伝えられるようにするのが なんといっても第一歩です。
わからない部分は 親に聞くのが一番だと思います(とりわけ、先天性眼瞼下垂の場合は)
もうひとつは 医師の言葉を 理解することです
たとえば 手術をするにあたっては
医師の見立てに基づいて 患者さんの今の状態と どんな手術をするか
その手術をすることによって どんなことが起きるか(メリット・デメリット)
は、最低でも説明するはずです。
でも その説明が ちゃんと理解出来るかどうかは 私たちにかかってきます。
まあ きちんと説明しない医師や
患者側の説明にきちんと答えられない医師は論外として。
つまり わからないのに「はいはい」と返事をして 承諾書にサインをし、
その後に何か問題が起こっても 医師の説明に「納得した」ことになっちゃうんです。
わかんないなあと思ったら その場で聞く。
あとで疑問に思うことが出てくるかもしれないけれど
手術をする前に 疑問や 不安は解消するのが鉄則。
何がわからないかもわからない、というのも言い訳にはならないから、患者側にも病気の知識は持ち合わせておく必要がある。
理解できなかったり 不安だったり 迷いがあったり という気持ちがあるのなら
手術はしてはいけないと思う。
そうしてもうひとつは
「完璧はない」と知ることです。
私たちは誰しも 自分自身が完璧だとは思っていないはずです。
どんな物事も 最善を尽くすことはあっても 100%の理想の状態なんてつくることはできない。
もし作れたとしても 時がたてば 私たちの心は さらにその上の理想を追い求めたくなります。
人によって 許せる範囲は異なるものですが
たとえば 手術後の自分の理想像を 極端に高く持っていってしまうと、
その後の現実が厳しくなっちゃうので
ここまで良くなれば オッケー というように思っておくほうが、納得しやすい気がします。
今回は、ところどころ かなり強い言葉を使いました。
それだけ この問題がシビアな話だからです。
行った手術を その前の状態にもどすことはできません。
みなさん
どうか、どうか
じぶんのカラダを 大切にしてください。
今回は自分自身のもんだいとして「納得」することの大切さと
どんなことをわかっておくべきかについて まとめてみました。
次回は、
身近な人と『整形』の付き合い方について書き進めてみます。
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2011年09月09日
ポリサージャリーになってしまうもうひとつの理由
眼瞼下垂の患者支援活動をしているおーばです。
シリーズ企画「眼瞼下垂のおーばが語る『整形』のおはなし」
5回目の今日は、
ポリサージャリーになってしまう もうひとつの理由 というおはなし。
なんだか 毎日耳慣れない言葉が飛び出してきますね・・・。
まずは ことばの説明をいたします。
ポリサージャリーは「連続する」「外科手術」の事を指します。
なので、消化器の病気で何度も開腹手術をする場合にも、ポリサージャリーといいます。
今回のテーマ『整形』の分野においても ポリサージャリーはあります。
今回の記事を書くにあたってポリサージャリーの定義を調べてみると・・・
「不必要な手術を受ける嗜癖を持つ患者」
という言葉も出てきました。
その繰り返しの手術は ほとんど実効性のないものである・・・とも。
今回は、みなさんにわかりやすく説明するために 最初に結論をお話します。
手術を受ける(=治療してもらう)ことで 安心をしたり満足を得ようとする
・・・そういうことになるのだと思います
その奥には「自分には まだまだ 治療する手立てがあるのだと思いたい」
という気持ちが 隠れているのがほとんどなのです。
どうしてこういう状況になってしまうのかというと これまでにもお話してきたように
今の自分の顔は、本来自分が望んでいる顔ではないという気持ちが
続いているからだと思います。
2005年のあるお医者さんのブログが ポリサージャリーの問題に言及していました。
こちらも、是非お読みいただきたいと思いました。
上記記事でも書かれていましたが
たとえば 眼瞼下垂の患者さんが「まぶたの問題」に こだわって こだわって
いろんな病院を探し回ったり(ドクターショッピング)
繰り返しの手術を求めたり(ポリサージャリー)
時にはその手術に納得できないと 病院側を責めたりするのは・・・
「まぶた」をスケープゴートとして、そこに執着することで
その奥にある「患者自身の抱えるこころの悩み」を解消させようとしているようにも思うのです。
ところが、何度手術をしても「こころの悩み」はその手術によっては解消できませんし
手術を繰り返すほどに、「また、だめだった」と落胆します
そして不思議なことに、そういう人たちって「あきらめない」んです。なんどでも繰り返す。
医療者の立場からすると これはもう「困った患者」ってことになります。
眼科や形成外科にしても、美容外科にしても
今回のケースのような患者さんは 来てほしくないのが本音だと思う
手術しても、きっと本人は満足しないだろうし ひょっとしたら訴えられてしまうかもしれない。
そういう患者さんに 精神科領域の診療科を勧める病院は多いです。
一見、冷淡な対応のようにも思うかもしれないけれど結果的には良心的ということになると思う。
精神科(あるいは心療内科や神経科)の外来でも、そこを受診したからといって
こころの問題が一気に解決したりするわけではないのだけれど
少なくとも、本人やその周りにいる家族にも「考える機会」を与えてくれるから。
逆に、患者の求めに従って「ほとんど意味のない手術」を引き受ける医師がいたとしたら
「やってもやらなくてもいい手術」をすることは結果的に患者さんのためになっていませんし
それは自分の病院の利益を得たいために行うものだと思います。
* * *
今回までは私の見・知っている 眼瞼下垂も一部含めた、『整形』手術の現状を
数回に分けて書かせていただきました。
こういう話は 書いていても とてもつらかったです・・・。
次回からは、「解決編」。ぜひ 引きつづきお読みいただきたいと思います。
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5回目の今日は、
ポリサージャリーになってしまう もうひとつの理由 というおはなし。
なんだか 毎日耳慣れない言葉が飛び出してきますね・・・。
まずは ことばの説明をいたします。
ポリサージャリーは「連続する」「外科手術」の事を指します。
なので、消化器の病気で何度も開腹手術をする場合にも、ポリサージャリーといいます。
今回のテーマ『整形』の分野においても ポリサージャリーはあります。
今回の記事を書くにあたってポリサージャリーの定義を調べてみると・・・
「不必要な手術を受ける嗜癖を持つ患者」
という言葉も出てきました。
その繰り返しの手術は ほとんど実効性のないものである・・・とも。
今回は、みなさんにわかりやすく説明するために 最初に結論をお話します。
手術を受ける(=治療してもらう)ことで 安心をしたり満足を得ようとする
・・・そういうことになるのだと思います
その奥には「自分には まだまだ 治療する手立てがあるのだと思いたい」
という気持ちが 隠れているのがほとんどなのです。
どうしてこういう状況になってしまうのかというと これまでにもお話してきたように
今の自分の顔は、本来自分が望んでいる顔ではないという気持ちが
続いているからだと思います。
2005年のあるお医者さんのブログが ポリサージャリーの問題に言及していました。
こちらも、是非お読みいただきたいと思いました。
上記記事でも書かれていましたが
たとえば 眼瞼下垂の患者さんが「まぶたの問題」に こだわって こだわって
いろんな病院を探し回ったり(ドクターショッピング)
繰り返しの手術を求めたり(ポリサージャリー)
時にはその手術に納得できないと 病院側を責めたりするのは・・・
「まぶた」をスケープゴートとして、そこに執着することで
その奥にある「患者自身の抱えるこころの悩み」を解消させようとしているようにも思うのです。
ところが、何度手術をしても「こころの悩み」はその手術によっては解消できませんし
手術を繰り返すほどに、「また、だめだった」と落胆します
そして不思議なことに、そういう人たちって「あきらめない」んです。なんどでも繰り返す。
医療者の立場からすると これはもう「困った患者」ってことになります。
眼科や形成外科にしても、美容外科にしても
今回のケースのような患者さんは 来てほしくないのが本音だと思う
手術しても、きっと本人は満足しないだろうし ひょっとしたら訴えられてしまうかもしれない。
そういう患者さんに 精神科領域の診療科を勧める病院は多いです。
一見、冷淡な対応のようにも思うかもしれないけれど結果的には良心的ということになると思う。
精神科(あるいは心療内科や神経科)の外来でも、そこを受診したからといって
こころの問題が一気に解決したりするわけではないのだけれど
少なくとも、本人やその周りにいる家族にも「考える機会」を与えてくれるから。
逆に、患者の求めに従って「ほとんど意味のない手術」を引き受ける医師がいたとしたら
「やってもやらなくてもいい手術」をすることは結果的に患者さんのためになっていませんし
それは自分の病院の利益を得たいために行うものだと思います。
* * *
今回までは私の見・知っている 眼瞼下垂も一部含めた、『整形』手術の現状を
数回に分けて書かせていただきました。
こういう話は 書いていても とてもつらかったです・・・。
次回からは、「解決編」。ぜひ 引きつづきお読みいただきたいと思います。
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2011年09月08日
ボディーイメージ 〜わたしのほんとうの顔を捜す〜
おーばです。
シリーズ企画「眼瞼下垂のおーばが語る『整形』のおはなし」
4回目の今日は
ボディーイメージ 〜わたしのほんとうの顔を捜す〜
という、ちょっぴり謎めいたお話です。
まず、ボディーイメージという言葉について説明をしなければなりません。
ボディーイメージはPDQがん用語辞書において、
人が自身の身体およびそれが他人にどう映るかについての考え方。と説明されます。
・・・かなり、わかりにくいですね。
もう少しわかりやすく説明すると、
仮にある女性が
私って、太っているなあ〜 きっと周りからデブだとおもわれているんだろうなぁ〜
と思っているとしましょう。
それが その人自身の「ボディーイメージ」です。
その人が 見た目にどんなに痩せていても、本人がそう思いこんでしまったら
その人には 自分のカラダがとても太く感じられてしまいます。
(極度になってしまうと、拒食症という診断名がついたりします。)
このとき 彼女には「自分が太っている」 まだまだ痩せなくては!というボディーイメージが
しっかり根付いてしまっているのです・・・。
そして、自分のボディーイメージは 容易に修正できるものではありません・・・。
それは極端な話だろうと お思いのかたも多いでしょうが
私がこれまでにお会いした人の中にも
眼瞼下垂の手術が無事すんで 他人の目からはとても良い状態にあると思うのに
自分の感覚として
「でも 私の顔はとても醜いのです、辛くて外を歩けないほどです」
という風に 感じてしまう人が 少なからず いらっしゃいます。
ひとつには、
手術の影響で、ちょっと皮膚が突っ張ったような感覚があったり
目の開けにくさ閉じにくさを 多少伴ったり。
そういう不具合がとても強く感じられると
ときに 見た目に関する自覚的な感覚にも違和感を与えてしまうのかもしれません。
ほかに理由があるとすれば
前回も書いたのですが、「こんなはずじゃなかった!」という気持ちがあるのかもしれません。
つまり 手術をしたらきっとこんな感じになるだろうと思っていたら
「思い描いていた顔」とのギャップが大きかった という場合です。
確かに これは たいへんショックな出来事です
でも、あなたの理想が極度に高かったり 許容範囲が狭すぎるせいだとしたら
・・・あなたは 悩まなくってもいいことで 悩んでいるのかもしれない
自分で自分を がんじがらめにしてしまっているのかも知れないのです。
他人にはごく普通に見えてしまうので
ボディーイメージのズレに悩んでいる人の その悩みを共感することは大変に困難です。
ただし
私なりには(時間はかかるけれど)解決の糸口はあると思っていて
そのことは 今後少しずつ書いてゆきます。
次回は、ポリサージャリーについて書いてみます。
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(ご利用なさっているかたは フォローしていただけると うれしいです)
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4回目の今日は
ボディーイメージ 〜わたしのほんとうの顔を捜す〜
という、ちょっぴり謎めいたお話です。
まず、ボディーイメージという言葉について説明をしなければなりません。
ボディーイメージはPDQがん用語辞書において、
人が自身の身体およびそれが他人にどう映るかについての考え方。と説明されます。
・・・かなり、わかりにくいですね。
もう少しわかりやすく説明すると、
仮にある女性が
私って、太っているなあ〜 きっと周りからデブだとおもわれているんだろうなぁ〜
と思っているとしましょう。
それが その人自身の「ボディーイメージ」です。
その人が 見た目にどんなに痩せていても、本人がそう思いこんでしまったら
その人には 自分のカラダがとても太く感じられてしまいます。
(極度になってしまうと、拒食症という診断名がついたりします。)
このとき 彼女には「自分が太っている」 まだまだ痩せなくては!というボディーイメージが
しっかり根付いてしまっているのです・・・。
そして、自分のボディーイメージは 容易に修正できるものではありません・・・。
それは極端な話だろうと お思いのかたも多いでしょうが
私がこれまでにお会いした人の中にも
眼瞼下垂の手術が無事すんで 他人の目からはとても良い状態にあると思うのに
自分の感覚として
「でも 私の顔はとても醜いのです、辛くて外を歩けないほどです」
という風に 感じてしまう人が 少なからず いらっしゃいます。
ひとつには、
手術の影響で、ちょっと皮膚が突っ張ったような感覚があったり
目の開けにくさ閉じにくさを 多少伴ったり。
そういう不具合がとても強く感じられると
ときに 見た目に関する自覚的な感覚にも違和感を与えてしまうのかもしれません。
ほかに理由があるとすれば
前回も書いたのですが、「こんなはずじゃなかった!」という気持ちがあるのかもしれません。
つまり 手術をしたらきっとこんな感じになるだろうと思っていたら
「思い描いていた顔」とのギャップが大きかった という場合です。
確かに これは たいへんショックな出来事です
でも、あなたの理想が極度に高かったり 許容範囲が狭すぎるせいだとしたら
・・・あなたは 悩まなくってもいいことで 悩んでいるのかもしれない
自分で自分を がんじがらめにしてしまっているのかも知れないのです。
他人にはごく普通に見えてしまうので
ボディーイメージのズレに悩んでいる人の その悩みを共感することは大変に困難です。
ただし
私なりには(時間はかかるけれど)解決の糸口はあると思っていて
そのことは 今後少しずつ書いてゆきます。
次回は、ポリサージャリーについて書いてみます。
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眼瞼下垂の会(NPO法人・申請中)はプレ会員を募集しています。
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(ご利用なさっているかたは フォローしていただけると うれしいです)
2011年09月07日
「こんなはずじゃなかった!」
おーばです。
シリーズ企画「眼瞼下垂のおーばが語る『整形』のおはなし」
3回目の今日は
「こんなはずじゃなかった!」
ということについて 考えてみたいと思います。
大きな期待を胸に手術をしても、その出来上がりに100%満足するのはむずかしい。
大抵、あれ?もうちよっと左右のバランスが良くなると思っていたのに、とか
ここのラインがなんだか不自然なんだよなあ とか。
「こんなはずじゃなかった!」という気持ちも
それが容認できるレベルなら 徐々に新しい自分の顔にも慣れてゆくことができると思います。
しかし一方で、「こんなのは手術の失敗だ!」と怒りをあらわにする人たちがいます
手術前に描いていた自分なりの手術後のイメージと現実に大きなギャップがある場合です。
どうしても「自分の顔」が許せなくなります。
手術なんかするんじゃなかったと思っても 手術前の自分に戻ることはできません。
抑うつ状態や引きこもった状態になるケースも少なくないですし
病院や医師を攻撃するという行動にでる場合だってあります。
納得できない患者は、いろんな病院で手術を繰り返しますが、
たぶん どんな手術をしても、「その患者さん」を納得させるものではありません。
時にメンタルヘルスの診療科への受診を促されるのですが
お薬を処方されてとしても、それで解決することは まずありません。
「こんなはずじゃなかった」
は患者さんにとっての悲劇であることはもちろん、
執刀する医師や その病院のほうにも悲劇だと思います。
どうにか このミスマッチを解消したいですよね。
いろいろ考えてみたのですが、医師と患者がよくコミュニケーションをとって
双方 納得した状態で手術に臨むというのが 最良の方法であろうと、私は思っています。
そんなの現実的じゃないよ、と思う人もいるかもしれません。
でも、
私の耳に入る評判の良い医師は、患者の話をよく聞いてくれる。
びっくりするくらい長い時間をかけて、説明してくれる。
評判の悪い医師はというと、「一方的に説明をまくし立てるし なんだか有無を言わさぬ雰囲気」という。
つまりは患者も人の子、医師も人の子。
信頼関係が構築されているかどうかは
かなり 満足度に影響していると思うのです。
そう、それは手術の実際の出来以上に。
なので 今回は執刀する医師に、あえて言いたいのです
「こいつもどうせ文句を言うぞ」なんて思いながら患者さんと向き合っていたなら
あなたの実績も 評判も あっという間になくなります。
どうか
目の前の患者さんには 誠心誠意 向き合っていただきたいのです。
そしてやっぱり患者さんの皆さんにも、ひとこと。
自分の受ける手術のことをなにもかも「お任せ」するのは、責任を放棄したこととおんなじ。
「私はこうなりたいの!」ということをしっかりつたえるのはあなたの責任。
ほんわかした理想だけを頭の中に思い浮かべているだけじゃ、相手には伝わっていないのですよ。
自分のカラダのことですもの とことん「ものを言う患者」になってほしいのです。
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シリーズ企画「眼瞼下垂のおーばが語る『整形』のおはなし」
3回目の今日は
「こんなはずじゃなかった!」
ということについて 考えてみたいと思います。
大きな期待を胸に手術をしても、その出来上がりに100%満足するのはむずかしい。
大抵、あれ?もうちよっと左右のバランスが良くなると思っていたのに、とか
ここのラインがなんだか不自然なんだよなあ とか。
「こんなはずじゃなかった!」という気持ちも
それが容認できるレベルなら 徐々に新しい自分の顔にも慣れてゆくことができると思います。
しかし一方で、「こんなのは手術の失敗だ!」と怒りをあらわにする人たちがいます
手術前に描いていた自分なりの手術後のイメージと現実に大きなギャップがある場合です。
どうしても「自分の顔」が許せなくなります。
手術なんかするんじゃなかったと思っても 手術前の自分に戻ることはできません。
抑うつ状態や引きこもった状態になるケースも少なくないですし
病院や医師を攻撃するという行動にでる場合だってあります。
納得できない患者は、いろんな病院で手術を繰り返しますが、
たぶん どんな手術をしても、「その患者さん」を納得させるものではありません。
時にメンタルヘルスの診療科への受診を促されるのですが
お薬を処方されてとしても、それで解決することは まずありません。
「こんなはずじゃなかった」
は患者さんにとっての悲劇であることはもちろん、
執刀する医師や その病院のほうにも悲劇だと思います。
どうにか このミスマッチを解消したいですよね。
いろいろ考えてみたのですが、医師と患者がよくコミュニケーションをとって
双方 納得した状態で手術に臨むというのが 最良の方法であろうと、私は思っています。
そんなの現実的じゃないよ、と思う人もいるかもしれません。
でも、
私の耳に入る評判の良い医師は、患者の話をよく聞いてくれる。
びっくりするくらい長い時間をかけて、説明してくれる。
評判の悪い医師はというと、「一方的に説明をまくし立てるし なんだか有無を言わさぬ雰囲気」という。
つまりは患者も人の子、医師も人の子。
信頼関係が構築されているかどうかは
かなり 満足度に影響していると思うのです。
そう、それは手術の実際の出来以上に。
なので 今回は執刀する医師に、あえて言いたいのです
「こいつもどうせ文句を言うぞ」なんて思いながら患者さんと向き合っていたなら
あなたの実績も 評判も あっという間になくなります。
どうか
目の前の患者さんには 誠心誠意 向き合っていただきたいのです。
そしてやっぱり患者さんの皆さんにも、ひとこと。
自分の受ける手術のことをなにもかも「お任せ」するのは、責任を放棄したこととおんなじ。
「私はこうなりたいの!」ということをしっかりつたえるのはあなたの責任。
ほんわかした理想だけを頭の中に思い浮かべているだけじゃ、相手には伝わっていないのですよ。
自分のカラダのことですもの とことん「ものを言う患者」になってほしいのです。
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2011年09月06日
「眼瞼下垂の手術」を喜んでやりたがるひとたち
おーばです。
シリーズ企画「眼瞼下垂のおーばが語る『整形』のおはなし」
今回は第2回「眼瞼下垂の手術」を喜んでやりたがるひとたち をお届けします。
『プチ整形』ということばが使われるようになったのは2000年以降のことだと思います。
『プチ整形』の正確な定義はあるのかもしれませんが 切らない『整形』ということになるのでしょうか
たとえば皮下に薬液を注入したり、皮下に糸などを埋没させることで、
見た目の美しさを整えること ということになると思います。
あくまでも個人的感想なのですが 以前よりも『整形』に対するハードルが下がったのは
この『プチ整形』ということばのおかげのように思います。
(この場合のハードルは
自分や家族が手術を受けるときのハードルでもあるし
他人が『整形』手術をしたとき、それを容認する気持ちのハードルでもあります。
ですが 実際は一筋縄じゃなくって…
いやそれはまた 別の機会にお話しましょう。)
「プチ」をつけることによって 患者さんの抵抗感を見事に払拭したんだなあと、感心します。
身体にメスを入れない(身体を傷つけるのではない)ことをアピールしたのも一因とも思います。
こうして
ひとは より美しくなるために、あるいは若さを保つために
美容外科クリニックに向かい『整形』をします。
プチとはいえ 自由診療ですから 10万円単位の手術代がかかることが多いですね。
まぶたの手術をする際 多くの美容外科クリニックで
「眼瞼下垂の手術ということにすれば、保険が適用になります」ということを宣伝しています
保険が適用になることで 実質の負担は2〜3万円になります(医療施設によって異なると思いますが)
かくて 若い女の子のブログなどで
「ラッキー こんど、眼瞼下垂の手術しまーす」という文章を目にすることになります。
あたかもプチ『整形』をするような感覚で書かれているのですが
眼瞼下垂の場合、本当に症状を改善させるためには まぶたを上げる筋肉を縫い縮めたり まぶたを上げるための材料をまぶたに移植したりするので、プチ『整形』とはいきません!
施設によってはまぶたに関する手術を全部「眼瞼下垂」ということで保険対応にしているのかなあ
と思ってしまったりもします。(現状をレポートしたことはまだないのですが)
生まれたときから眼瞼下垂に悩んでいる人やその家族からすると、このカジュアルさが奇異に思えます。
眼瞼下垂という病気を軽くみられているような
美や若さを求めたい人のために 病名を利用されているような 複雑な気分になります・・・。
ただ。
本人も家族も気がつかないながらも 実は眼瞼下垂の症状があって
美容外科を受診したことがきっかけで先天性眼瞼下垂を診断されて
挙筋短縮術や 腱移植などであがりにくいまぶたを上げることができたという話もよく聞きます。
カジュアルな『整形』がもてはやされるような時代になったことによる よかった面だと
そう感じたりもします。
でも
「眼瞼下垂の患者支援をしている身」から一言言わせていただくならば、
美容外科クリニックでまぶたの手術をするときには ぜひ眼瞼下垂を得意にしている施設を選んでほしい。
見極めるポイントは その病院のwebページ。
形成外科にしろ、美容外科にしろ
自信をもっている手術に関しては その病気のページを作って
原因は何か とか どんな手術の方法をとるか などをきちんと作っているから。
安いから とか 短時間でできるから
という理由で 決めてしまわないこと
じゃないと
「こんなはずじゃなかった!」ということに なってしまいかねません・・・。
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シリーズ企画「眼瞼下垂のおーばが語る『整形』のおはなし」
今回は第2回「眼瞼下垂の手術」を喜んでやりたがるひとたち をお届けします。
『プチ整形』ということばが使われるようになったのは2000年以降のことだと思います。
『プチ整形』の正確な定義はあるのかもしれませんが 切らない『整形』ということになるのでしょうか
たとえば皮下に薬液を注入したり、皮下に糸などを埋没させることで、
見た目の美しさを整えること ということになると思います。
あくまでも個人的感想なのですが 以前よりも『整形』に対するハードルが下がったのは
この『プチ整形』ということばのおかげのように思います。
(この場合のハードルは
自分や家族が手術を受けるときのハードルでもあるし
他人が『整形』手術をしたとき、それを容認する気持ちのハードルでもあります。
ですが 実際は一筋縄じゃなくって…
いやそれはまた 別の機会にお話しましょう。)
「プチ」をつけることによって 患者さんの抵抗感を見事に払拭したんだなあと、感心します。
身体にメスを入れない(身体を傷つけるのではない)ことをアピールしたのも一因とも思います。
こうして
ひとは より美しくなるために、あるいは若さを保つために
美容外科クリニックに向かい『整形』をします。
プチとはいえ 自由診療ですから 10万円単位の手術代がかかることが多いですね。
まぶたの手術をする際 多くの美容外科クリニックで
「眼瞼下垂の手術ということにすれば、保険が適用になります」ということを宣伝しています
保険が適用になることで 実質の負担は2〜3万円になります(医療施設によって異なると思いますが)
かくて 若い女の子のブログなどで
「ラッキー こんど、眼瞼下垂の手術しまーす」という文章を目にすることになります。
あたかもプチ『整形』をするような感覚で書かれているのですが
眼瞼下垂の場合、本当に症状を改善させるためには まぶたを上げる筋肉を縫い縮めたり まぶたを上げるための材料をまぶたに移植したりするので、プチ『整形』とはいきません!
施設によってはまぶたに関する手術を全部「眼瞼下垂」ということで保険対応にしているのかなあ
と思ってしまったりもします。(現状をレポートしたことはまだないのですが)
生まれたときから眼瞼下垂に悩んでいる人やその家族からすると、このカジュアルさが奇異に思えます。
眼瞼下垂という病気を軽くみられているような
美や若さを求めたい人のために 病名を利用されているような 複雑な気分になります・・・。
ただ。
本人も家族も気がつかないながらも 実は眼瞼下垂の症状があって
美容外科を受診したことがきっかけで先天性眼瞼下垂を診断されて
挙筋短縮術や 腱移植などであがりにくいまぶたを上げることができたという話もよく聞きます。
カジュアルな『整形』がもてはやされるような時代になったことによる よかった面だと
そう感じたりもします。
でも
「眼瞼下垂の患者支援をしている身」から一言言わせていただくならば、
美容外科クリニックでまぶたの手術をするときには ぜひ眼瞼下垂を得意にしている施設を選んでほしい。
見極めるポイントは その病院のwebページ。
形成外科にしろ、美容外科にしろ
自信をもっている手術に関しては その病気のページを作って
原因は何か とか どんな手術の方法をとるか などをきちんと作っているから。
安いから とか 短時間でできるから
という理由で 決めてしまわないこと
じゃないと
「こんなはずじゃなかった!」ということに なってしまいかねません・・・。
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2011年09月05日
形成と美容のはざまで揺れる、まぶた。
おーばです。
シリーズ企画「眼瞼下垂のおーばが語る『整形』のおはなし」
なかなか構想をまとめられずにおりましたが、今日から(やっと)スタートいたします
第一回は『形成と美容のはざまで揺れる、まぶた。』
まぶたの働きを大きく分けると2つあります。眼を保護する役割(機能面)と、容姿や表情からみた役割(心理面・社会面)。
まぶたは 眼球を乾燥や衝撃から守り、過度な眩しさから守ります。なので、まぶたの機能がうまくはたらかないと、いろんな影響が出ます。
まず、まぶたがあがりにくいのですから 視野が制限されます。
ものが見えにくいということは、いろんな情報が入りにくくなりますから、生活してゆくうえで、これは大変に不便です。
先天的な眼瞼下垂のお子さんでもこれは無意識のうちに何とかしようと思います。見えにくさを補うために顎を上げて物を見たり、片方のまぶたが開きにくい場合は首をかしげてみたり。指でまぶたを押し上げてものを見る子もいます。
なかには見えにくい側の目を使わなくなってしまうケースもあって、そうすると、視力が育たなくなってしまう(弱視)という別の問題につながることもあります。
それと同時に、まぶたを動かす筋肉の働きをほかの筋肉を使って補おうとする動きが出てくることがあります。それは、眉を動かすものであったり、額にしわを作る表情筋だったり。それを無意識に行うことも少なくないのです。
ただし こうした代償の働きは、身体に多少の負担をかけるものです。
そのため、眼瞼下垂に悩む方の中には、ひどい頭痛になやまされつづけていたり、慢性の肩こりを抱えていらっしゃったり という方も少なくないです。
原因不明のひどい頭痛を持っている方が、その治療法を模索する中で始めて眼瞼下垂と診断され、眼瞼下垂の手術をすることによって、長年の頭痛から開放されたという話もあります。自分も周囲も、生まれつきの眼瞼下垂に気づかずに経過し、頭痛という全身症状で初めて認知されるといったこともあるわけです。
さて、まぶたのもうひとつの役割は、容姿や表情に関係するものです。
目は容貌の中心にあり、その人の顔つきを特徴づけます。
そして、表情ひとつで相手に与える印象というのは 大きく変わるものです。
このページをよんで下さっているかたには言うまでもありませんが、眼瞼下垂はまぶたが下がってしまうのが最大の特徴です。片目の眼瞼下垂の場合は、左右の目の大きさが大きく違ってきますし、両眼性の下垂の場合は「目が細い」というだけでなく「目つきが悪い」「眠そう」「不機嫌そう」・・・とあまりいい印象をがないというのが現実。そして、それらを手術で改善させるのもまた、形成外科の役割ですが、審美的な要素を重視した結果、美容外科を選択する人も、少なくありません。
これまで書いてきたように眼瞼下垂からおきる「不具合」は多岐にわたるります。私も この病気についてさまざまな人と対話をしてきました。皆さんのお悩みの種がどこにあるのか その程度なのかは お一人お一人で違うということを実感します。ひとくちに眼瞼下垂といっても、「受けたい治療」に違いが出てくるのだなあと 改めて思うわけです。
身体面、機能面に 辛さを感じている(形成外科的な問題を解決したい)からこそ 眼瞼下垂の治療を受けたいのに、 その結果で 見た目が変わる(目が大きく見えるようになるのでいわゆる『整形』と思われる)ことに悩まなければならないなんて 考えてみたら実に不条理なことです・・・。
その問題に「正解」はないと 私は思っています。
結局のところ それぞれの気持ちで決めてゆくことになるのです。
機能面の問題と 見た目の変化の問題を 自分なりによく比べて
手術をするのかしないのか するとしたら どんな仕上がりをめざすのか
そういったことを しっかりしっかり 考えてゆくことが大切になってくるのだと思います。
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シリーズ企画「眼瞼下垂のおーばが語る『整形』のおはなし」
なかなか構想をまとめられずにおりましたが、今日から(やっと)スタートいたします
第一回は『形成と美容のはざまで揺れる、まぶた。』
まぶたの働きを大きく分けると2つあります。眼を保護する役割(機能面)と、容姿や表情からみた役割(心理面・社会面)。
まぶたは 眼球を乾燥や衝撃から守り、過度な眩しさから守ります。なので、まぶたの機能がうまくはたらかないと、いろんな影響が出ます。
まず、まぶたがあがりにくいのですから 視野が制限されます。
ものが見えにくいということは、いろんな情報が入りにくくなりますから、生活してゆくうえで、これは大変に不便です。
先天的な眼瞼下垂のお子さんでもこれは無意識のうちに何とかしようと思います。見えにくさを補うために顎を上げて物を見たり、片方のまぶたが開きにくい場合は首をかしげてみたり。指でまぶたを押し上げてものを見る子もいます。
なかには見えにくい側の目を使わなくなってしまうケースもあって、そうすると、視力が育たなくなってしまう(弱視)という別の問題につながることもあります。
それと同時に、まぶたを動かす筋肉の働きをほかの筋肉を使って補おうとする動きが出てくることがあります。それは、眉を動かすものであったり、額にしわを作る表情筋だったり。それを無意識に行うことも少なくないのです。
ただし こうした代償の働きは、身体に多少の負担をかけるものです。
そのため、眼瞼下垂に悩む方の中には、ひどい頭痛になやまされつづけていたり、慢性の肩こりを抱えていらっしゃったり という方も少なくないです。
原因不明のひどい頭痛を持っている方が、その治療法を模索する中で始めて眼瞼下垂と診断され、眼瞼下垂の手術をすることによって、長年の頭痛から開放されたという話もあります。自分も周囲も、生まれつきの眼瞼下垂に気づかずに経過し、頭痛という全身症状で初めて認知されるといったこともあるわけです。
さて、まぶたのもうひとつの役割は、容姿や表情に関係するものです。
目は容貌の中心にあり、その人の顔つきを特徴づけます。
そして、表情ひとつで相手に与える印象というのは 大きく変わるものです。
このページをよんで下さっているかたには言うまでもありませんが、眼瞼下垂はまぶたが下がってしまうのが最大の特徴です。片目の眼瞼下垂の場合は、左右の目の大きさが大きく違ってきますし、両眼性の下垂の場合は「目が細い」というだけでなく「目つきが悪い」「眠そう」「不機嫌そう」・・・とあまりいい印象をがないというのが現実。そして、それらを手術で改善させるのもまた、形成外科の役割ですが、審美的な要素を重視した結果、美容外科を選択する人も、少なくありません。
これまで書いてきたように眼瞼下垂からおきる「不具合」は多岐にわたるります。私も この病気についてさまざまな人と対話をしてきました。皆さんのお悩みの種がどこにあるのか その程度なのかは お一人お一人で違うということを実感します。ひとくちに眼瞼下垂といっても、「受けたい治療」に違いが出てくるのだなあと 改めて思うわけです。
身体面、機能面に 辛さを感じている(形成外科的な問題を解決したい)からこそ 眼瞼下垂の治療を受けたいのに、 その結果で 見た目が変わる(目が大きく見えるようになるのでいわゆる『整形』と思われる)ことに悩まなければならないなんて 考えてみたら実に不条理なことです・・・。
その問題に「正解」はないと 私は思っています。
結局のところ それぞれの気持ちで決めてゆくことになるのです。
機能面の問題と 見た目の変化の問題を 自分なりによく比べて
手術をするのかしないのか するとしたら どんな仕上がりをめざすのか
そういったことを しっかりしっかり 考えてゆくことが大切になってくるのだと思います。
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2011年08月28日
『整形』について私が書こうと思った理由(わけ)
おーばです
シリーズ企画「眼瞼下垂のおーばが語る『整形』のおはなし」
今回はプロローグとして
『整形』について私が書こうと思った理由(わけ)
というお話をします。
私が「眼瞼下垂」という病気と向き合うようになって、約10年の年月が流れています。
眼瞼下垂の患者さんやそのご家族との対話では、おひとりおひとりの持つ さまざまな「胸に秘めた思い」を明かしてくださることもあるのですが、その中で
「手術はしたいけれど、『整形』したと思われるのが怖い」という話が たびたび出ました。私は、とても複雑な気持ちが そこに現れていると、感じました。
眼瞼下垂の手術は『整形』することとは違う 私は、概ねそういう立場に立ってきました。
だって、そこには治すべき病気があるのですから。
眼瞼下垂の患者さんは 下がったまぶたのせいで視野がさえぎられますし
そのために視力の形成に影響が出ることもある。
慢性的な頭痛や肩こりなどの全身症状が出てくることもある。
それに 下がったまぶたは 見た目におおきな影響を与える。
劣等感をもってしまったり 周囲からの心無い言動や行動があれば社会生活を送ることさえ難しくなる。
たくさんの不都合があって
でも(手術の環境はまだまだ整っているとはいえないけど)手術をすることでまぶたの開き方を改善すれば
いろんな不都合から開放される。
わたしも最初の数年間 眼瞼下垂は手術さえすればオッケーなのだと 思った時期がありました。
でも 全員のひとがオッケーを感じていない現実に直面しました。
すでに手術をしたという人たちの中には、
「今の自分の顔には耐えられない。元の目に戻したい」という人たちの存在があったのです。
本人の望むように、まぶたは開いたのに。
ぱっちりとしたおおきな目も 手に入ったのに・・・。
満足しなかった人たちには ある共通の理由があったのです。
(その不満の原因についても 今後書いてゆこうと思っています)
眼瞼下垂の患者さんをめぐる『整形』的な問題は、この10年であまり解決しているようには思えません。
一連の状況を書いたからといって、ひとりひとりの問題が解決できるわけでもありません。
それでも、問題を整理してゆくことによって 何かしらの発見があるかもしれません。
今日から 少しずつ それを書いてゆきます。
よろしくお付き合いください。
大場美津子
目次に戻る
シリーズ企画「眼瞼下垂のおーばが語る『整形』のおはなし」
今回はプロローグとして
『整形』について私が書こうと思った理由(わけ)
というお話をします。
私が「眼瞼下垂」という病気と向き合うようになって、約10年の年月が流れています。
眼瞼下垂の患者さんやそのご家族との対話では、おひとりおひとりの持つ さまざまな「胸に秘めた思い」を明かしてくださることもあるのですが、その中で
「手術はしたいけれど、『整形』したと思われるのが怖い」という話が たびたび出ました。私は、とても複雑な気持ちが そこに現れていると、感じました。
眼瞼下垂の手術は『整形』することとは違う 私は、概ねそういう立場に立ってきました。
だって、そこには治すべき病気があるのですから。
眼瞼下垂の患者さんは 下がったまぶたのせいで視野がさえぎられますし
そのために視力の形成に影響が出ることもある。
慢性的な頭痛や肩こりなどの全身症状が出てくることもある。
それに 下がったまぶたは 見た目におおきな影響を与える。
劣等感をもってしまったり 周囲からの心無い言動や行動があれば社会生活を送ることさえ難しくなる。
たくさんの不都合があって
でも(手術の環境はまだまだ整っているとはいえないけど)手術をすることでまぶたの開き方を改善すれば
いろんな不都合から開放される。
わたしも最初の数年間 眼瞼下垂は手術さえすればオッケーなのだと 思った時期がありました。
でも 全員のひとがオッケーを感じていない現実に直面しました。
すでに手術をしたという人たちの中には、
「今の自分の顔には耐えられない。元の目に戻したい」という人たちの存在があったのです。
本人の望むように、まぶたは開いたのに。
ぱっちりとしたおおきな目も 手に入ったのに・・・。
満足しなかった人たちには ある共通の理由があったのです。
(その不満の原因についても 今後書いてゆこうと思っています)
眼瞼下垂の患者さんをめぐる『整形』的な問題は、この10年であまり解決しているようには思えません。
一連の状況を書いたからといって、ひとりひとりの問題が解決できるわけでもありません。
それでも、問題を整理してゆくことによって 何かしらの発見があるかもしれません。
今日から 少しずつ それを書いてゆきます。
よろしくお付き合いください。
大場美津子
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シリーズ企画「眼瞼下垂のおーばが語る『整形』のおはなし」スタートにあたって
おーばです
折に触れて「おーばの考える眼瞼下垂」について書き貯めてきたのですが
ここしばらく、このブログはオフ会のお知らせやNPO法人に向けた「告知」ばかりになっていて、
眼瞼下垂にまつわる「おはなし」はほとんど書いていませんでした。
もちろん告知も大切なことですが。
久しぶりに、このブログに来た人に、ぜひ読んでもらいたいと思う「話題」がでてきました。
『整形』
ものすごく難しいテーマで、ちょっと考えただけで いつものブログ記事の3,4本分になりそう。
しかも 考えるうちにどんどん書きたいことが湧いてきます・・・
のちのち書きますが 眼瞼下垂と『整形』には切り離せないものがあると、私は考えています。
たぶん連日『整形』のことばっかり書くブログになります。
あらかじめ そう伝えておかないと おーばさん眼瞼下垂のこと書くのやめちゃったのかな、
『整形』を勧めるブログか あるいは『整形』を非難するブログにでも転身してしまったのかと
そう思わせるかもしれません
だから、かなりくどいけど
「眼瞼下垂のことにこだわる私(おーば)にしか書けない、『整形』の話」をしばらく連日書いてゆく
という宣言を致します。
(予定している目次)
はじめに 『整形』について私が書こうと思った理由(わけ)
1、形成と美容のはざまで揺れる、まぶた。
2、「眼瞼下垂の手術」を喜んでやりたがるひとたち
3、「こんなはずじゃなかった!」
4、ボディ・イメージ 〜わたしのほんとうの顔を捜す〜
5、ポリサージャリーになってしまうもうひとつの理由
6、納得するということの大切さ
7、『整形』をめぐる親子の問題
8、友達や恋人が『整形』だったら、あなたはどう思う?
9、他人の『整形』が、こうもネタになるのはなぜだろう(大人編)
10、『整形』と「見た目の悩み」を抱える若い世代に。
おわりに、カミングアウトができなくっても…
一連の文章を書くにあたって、いくつかの「事例」的なお話を書くこともありますが、特定のだれかについて書くことはしません。どの事例も「架空」の人物です。架空ではあるけれど、「ほんとうの話」の積み重ねから生まれる「どこかにいるだれか」の話だと思ってください。読んでドキッとしたならば、あなたのことを書いたのではなく「おんなじことを考えている人が 自分以外にもいたんだな」と思ってください。
それから、
この一連の文章には『整形』という表記を多用しますので、
なぜわざわざ『 』でくくるのか その理由を書いておきます。
私は元・看護師ですから、整形外科(全身の骨・筋肉・神経を扱う診療科)と区別するために
これまで 整形ということばをあまり使わないようにしてきたのです。
でも そうはいっても
ほとんどの日本人にとって「整形=手術でキレイになること」という認識が定着しています。
(それはもちろん わたし自身もそうです)
そこで この一連のシリーズではとくに但し書きがない限りは
『整形』は「キレイになるための医療施設や医療行為」
『整形する』は「美容目的の手術をする」ということに統一します。
ちなみに眼瞼下垂の手術の多くは「形成外科」で行われます。
形成外科は先天的な機能の不全を改善したり事故や病気で損なわれた身体の一部を手術で回復させることを目的とする診療科です。『整形』との違いについては、今後書いてゆきます
前置きばかりが長くなりましたが。。。 いよいよスタートです!
折に触れて「おーばの考える眼瞼下垂」について書き貯めてきたのですが
ここしばらく、このブログはオフ会のお知らせやNPO法人に向けた「告知」ばかりになっていて、
眼瞼下垂にまつわる「おはなし」はほとんど書いていませんでした。
もちろん告知も大切なことですが。
久しぶりに、このブログに来た人に、ぜひ読んでもらいたいと思う「話題」がでてきました。
『整形』
ものすごく難しいテーマで、ちょっと考えただけで いつものブログ記事の3,4本分になりそう。
しかも 考えるうちにどんどん書きたいことが湧いてきます・・・
のちのち書きますが 眼瞼下垂と『整形』には切り離せないものがあると、私は考えています。
たぶん連日『整形』のことばっかり書くブログになります。
あらかじめ そう伝えておかないと おーばさん眼瞼下垂のこと書くのやめちゃったのかな、
『整形』を勧めるブログか あるいは『整形』を非難するブログにでも転身してしまったのかと
そう思わせるかもしれません
だから、かなりくどいけど
「眼瞼下垂のことにこだわる私(おーば)にしか書けない、『整形』の話」をしばらく連日書いてゆく
という宣言を致します。
(予定している目次)
はじめに 『整形』について私が書こうと思った理由(わけ)
1、形成と美容のはざまで揺れる、まぶた。
2、「眼瞼下垂の手術」を喜んでやりたがるひとたち
3、「こんなはずじゃなかった!」
4、ボディ・イメージ 〜わたしのほんとうの顔を捜す〜
5、ポリサージャリーになってしまうもうひとつの理由
6、納得するということの大切さ
7、『整形』をめぐる親子の問題
8、友達や恋人が『整形』だったら、あなたはどう思う?
9、他人の『整形』が、こうもネタになるのはなぜだろう(大人編)
10、『整形』と「見た目の悩み」を抱える若い世代に。
おわりに、カミングアウトができなくっても…
一連の文章を書くにあたって、いくつかの「事例」的なお話を書くこともありますが、特定のだれかについて書くことはしません。どの事例も「架空」の人物です。架空ではあるけれど、「ほんとうの話」の積み重ねから生まれる「どこかにいるだれか」の話だと思ってください。読んでドキッとしたならば、あなたのことを書いたのではなく「おんなじことを考えている人が 自分以外にもいたんだな」と思ってください。
それから、
この一連の文章には『整形』という表記を多用しますので、
なぜわざわざ『 』でくくるのか その理由を書いておきます。
私は元・看護師ですから、整形外科(全身の骨・筋肉・神経を扱う診療科)と区別するために
これまで 整形ということばをあまり使わないようにしてきたのです。
でも そうはいっても
ほとんどの日本人にとって「整形=手術でキレイになること」という認識が定着しています。
(それはもちろん わたし自身もそうです)
そこで この一連のシリーズではとくに但し書きがない限りは
『整形』は「キレイになるための医療施設や医療行為」
『整形する』は「美容目的の手術をする」ということに統一します。
ちなみに眼瞼下垂の手術の多くは「形成外科」で行われます。
形成外科は先天的な機能の不全を改善したり事故や病気で損なわれた身体の一部を手術で回復させることを目的とする診療科です。『整形』との違いについては、今後書いてゆきます
前置きばかりが長くなりましたが。。。 いよいよスタートです!