まぶたの病気、眼瞼下垂の患者家族を支援しているおーばです。
出産をきっかけに眼瞼下垂という病気があることが分かってから12年。
とにかく無我夢中でここまでやってきて NPO法人にもなったわけですが
白状します。
ここしばらくは いまひとつ眼瞼下垂の患者会活動に没頭できず
ずーっと モヤモヤした思いを抱えていました。
なんでモヤモヤしているのか さえわからなかったのですが…
最近になって
非常に根源的なことを 考えなおしてみたのです。
“眼瞼下垂に患者会は本当に必要なのだろうか”
病気にも、いろいろあります。
そして、それぞれに患者会がある。
メジャーな疾患の おおきな患者会組織もあるし
希少・難病の場合は患者会を作るだけの人数を集めるのがたいへんです。
ここしばらくのあいだ、
いろんな患者会のことを見たり聞いたり
勉強し直したり しておりました。
過酷な状況に置かれてる患者さんは 多いです。
患者さんやご家族は どの病気でも本当に切実ですし、壮絶です。
眼瞼下垂は、難病ではありません。
眼瞼下垂は、まれな病気とは言えません。
眼瞼下垂は 身体障害を伴う病気ではありません。
眼瞼下垂は 継続的な内服が必要な病気ではありません。
眼瞼下垂は、治療法が確立している病気です。
眼瞼下垂は、保険適用の疾患です。
何かを勝ち取るための運動も必要ないですし
治療に莫大なお金がかかるわけでもありませんので
医療費をめぐる要求もありません。
なにかを勝ち取ることを目的に頑張っている人たちに比べると
なぜだか 申し訳ないような気がします。
眼瞼下垂は、ほかの病気に比べると
生き死ににかかわる病気ではないし
たいしたことないんじゃないのかと思えることも ありました。
と、ここまで書くと、
あーそうなんだ それは良かったね。で終わります。
それでも
わたしが 10年前に患者会を作ろうと思ったのには理由がありました。
眼瞼下垂の
なにが問題かというと
あまり知られていない・理解されにくい病気だということ
知っている人にとっても 軽くみられやすい病気だということと
本人にとっては、他とは比べることのできない辛さを感じることです。
特に、
身体的というよりは 精神的、社会的な辛さがあるのです。
それは
マイノリティーの問題全般に共通の悩みなのかも知れません。
いろいろな問題には、
当事者たちを支えたり、つないだり
そしてこういう問題があるのだと 世に発信する人がいます。
(まだ、その体制が整っていない問題も たくさんあるけど)
眼瞼下垂においては それを担ってゆくのが
「眼瞼下垂の会」なのでしょう。
眼瞼下垂は 眼瞼挙筋という小さな小さな筋肉の問題で起こります。
眼瞼下垂は、先天性にしろ、後天性にしろ
その、病変の部分の大きさからは考えられないくらいに
とても
ストレスフルなのです。
視野が狭いという 物理的なストレスは言うに及ばず。
小児の患者さんならば視力矯正のためのストレスが加わることもあります。
見た目の症状は からかい、イジメ、差別の原因になってきたし、
そういったことがなくても
他人からまぶたのことを質問されるだけでもストレスです。
更に、
誰からも何も言われなくっても
他人からの視線は気になります。自分自身に自信が持てなくなる人もいます。
(もちろん、ひとりひとりを取り巻く環境は様々だし
感じ方だって、人それぞれ。これは最大公約数的な話なのですが)
だから
眼瞼下垂は 当事者にとっては(そして、家族や周囲の人にとっても)
どんな難病よりも重大な病気です。
少なくとも
この病気のことを自分自身でちゃんと理解し、受け止めるまでは。
とにかくね
なんだかんだ言って 当事者(や、先天性の子の親)は
この問題に直面するときは 孤立無援のところからスタートするわけです。
眼瞼下垂ってなんなんだ?
なんでわたし(の子)にこんな病気がやってきたんだ!
どうやったら治るんだ…
どこで治せばいいんだ…
この先 本当に大丈夫なのか?
そういったことがわかってくると 心にいくらかの余裕が出てきます。
自分自身の問題に あるていどの余裕が出てくると
ちょっと周りを見まわすことができるようになります。
同じ境遇の人の話も聞いてみようと思えるようになります。
あるいは、思い切って参加することで なにかに気づくこともあります。
こういった横のつながりも
そういう「場」があればいいのですが それがいつもあるとは限りません。
なければ、場をつくるところからはじめなくてはならないのです。
いやいや
世の中には、その症状に悩み苦しみながらも
「眼瞼下垂」という病名さえ知らずにいる人も多いのです。
この病気を知る機会は、まだまだ少ない。
こういった、
今ある問題を解決するためには、
その人たちのために
せめて目印を立てておきたい。
それこそが 患者会という存在なのだろうと思います。
眼瞼下垂の患者会に社会的な意義があるとしたら 間違いなくそこです。
そして、今ある問題を解決するためには
全国どこにいても 仲間の存在を感じられるような仕組みが必要。
ちゃんと治せる病院がある、って わかるようにならなくちゃならない。
眼瞼下垂をちゃんと認知してもらうための活動をするのは、義務なのです。
もちろん、わたし一人だけでそれができるとは思いません。
いとんな人から いろんな力を借りながら
ちょっとずつ ちょっとずつです。
そういった地道なアクションを続けていって
それがいつか実を結ぶこができたら。
・・・いつの日にか
眼瞼下垂になったとしても
あるいは 眼瞼下垂の子がうまれて、
最初はやっぱり悲しみや不安でいっぱいであろうとも
それが ずーっと続く悲しみや苦しみにはならない
・・・そんな時代が、きっと来る。
・・・わかっている。現実はそんなに甘くない。
私が 今のまま こんな生ぬるいことをやっていたんじゃ、
100年たっても この病気を取り巻く環境を変えることはできない。
いろんなひとの手を借りよう。
どんな小さなきっかけだって それを見逃しちゃいけないし
今の100倍がんばれば チャンスは廻ってくるかもしれない。
そんなことを 考えながら
わたしは これからも眼瞼下垂の活動を続けていこうと
思いを新たにしたのでした。
長い 長いおはなしになりました。
お読みいただいた皆様に、感謝いたします。
そして、この患者会をこれからもどうぞよろしくお願いいたします。
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