まぶたの病気、眼瞼下垂(がんけんかすい)の患者と家族を支援する
「NPO法人眼瞼下垂の会」代表の おーば こと大場美津子です。
私がこの活動を始めたきっかけは、私の次男が先天性眼瞼下垂をもって生まれてきたことにあります。
2歳のころから15歳の今まで、ずーっと、通院し続けている帝京大学病院眼科に、1年ぶりの受診をしました。
2歳半で最初の手術をして、13歳の直前に修正の手術をしています。
いつもは夏休みに合わせて定期受診をしていますが、この夏はうっかり受診の予約を取り損ねて7月に予約を入れてしまったために、10月の受診となりました。
外来に着いて、視力の検査をして、医師の診察を受けます。
外来の混雑ぶりは相変わらずで
診察が終わったのは最初の予約時間からは2時間半後でした(織り込み済みではありますが)
裸眼、矯正の視力は問題ない経過をたどり
下垂していない方の角膜に傷がついているということではありましたが
下垂側の角膜は「健康そのもの」とのお墨付きをいただきました。
まぶたの状態も2年前の手術の微調整が効いており、今のところ再度の下垂の徴候はありません。
次に手術が必要になるのは、まあ早くて10年後でしょう とのこと
就職を控えて とか 結婚を考えて といった
ライフステージの変化に合わせて
その時にもし必要だったら 手術すればいいでしょう
その時も挙筋の問題ではなく 皮膚が下がってくる(加齢によるもの)になるのでは?と
「先天性眼瞼下垂」の治療としては、今回で卒業でいいでしょう
主治医から、こんな宣言が飛び出して
逆に「あら、寂しい」と思わず声に出してしまった母です。
20歳までは 伴走しようとおもっていたのに
5年も早く 突然ここがゴールだと言われてしまいました。
(まあ、先生の方にもご事情があってのことのようです・・・)
藤沢から都内板橋区までのアクセスが
東京上野ラインの開通で せっかく良くなったというのに残念なことではあります。
数年前に新しくなったばかりの帝京大と附属病院に 足を運ぶことも
当面はなくなるのですね やっぱりさびしい。
今回で我が子の先天性眼瞼下垂との旅もひとまず終わりなわけですが
もちろん、これから先も 眼瞼下垂の活動は継続してまいります。
そして、本人にとっても これからも自分のまぶたとのつきあいは
生きている限り続いてゆくでしょう。これからは少し離れたところから
見守ってゆきたいと思います。
「NPO法人眼瞼下垂の会」のホームページも合わせてご覧ください。
NPO法人眼瞼下垂の会では、会員を募集しています。
Facebookにてfacebookページ「眼瞼下垂の会」を開いています。
mixiページ「眼瞼下垂の会」をスタートしました。
(Facebook/mixiのアカウントを持っていなくても、リンク先のページを見ることが出来ます。)
2015年10月05日
2014年03月27日
手術から7か月 経過の診察
まぶたの病気眼瞼下垂(がんけんかすい)の患者と家族を支援している
NPO法人「眼瞼下垂の会」代表のおーば こと大場美津子です。
今回は、昨年8月に修正手術をした二男の経過について書きます。
実は、10月にも受診していましたが掲載をしそびれていました。
その際は、傷跡がまだほんのりと赤い状態でしたが、現在はすっかり消褪しています。
今回は、久しぶりに視力測定。左右ともに矯正の視力は出ますが
二男は下垂している側の視力が健眼と比べてかなり悪い(不同視)ので
今後乱視をしっかり矯正して視力を出したい場合は、メガネでは難しい。コンタクトレンズが必要になってくるでしょう・・・と言ったことを説明されました。
二男の母親である私もまた強度の乱視をもっていて、メガネの矯正では十分な視力が出ませんので、納得いたしました。当の本人は、今のところの不具合はないとのことで、ひとまず様子見。
さて、まぶたの開き塩梅はというと、非常に良好。
下を向いた時の下眼瞼後退はあり、この写真を見た本人はちょっとショック受けていましたが 夜間の術眼の開眼も1ミリ程度で角膜にも問題なく。
この先どれくらい背が伸びるかわからないけど(ちなみに現在160センチ、ついに母の背を越えました)
身長の伸びが止まった時点で、もし本人からの要望があれば、再手術を検討しましょうということになりました。
今回にて、2013年8月の術後の検診は終了いたしました。N先生、たいへんお世話になりました。
(いただいた資料は 今後活用させていただきます)
今後も年に一度の定期の通院は継続ですが、大学側の都合により二男の主治医は再びK先生に戻ることなりました。
おまけ
帝○大の新校舎が完成したようで、工事用のフェンスが取り払われていました。道幅もひろくなりそうですし、校舎前は遊歩道になっていて、なんだかとっても素敵な空間になっていました。写真撮ってくれば良かった〜
NPO法人「眼瞼下垂の会」代表のおーば こと大場美津子です。
今回は、昨年8月に修正手術をした二男の経過について書きます。
実は、10月にも受診していましたが掲載をしそびれていました。
その際は、傷跡がまだほんのりと赤い状態でしたが、現在はすっかり消褪しています。
今回は、久しぶりに視力測定。左右ともに矯正の視力は出ますが
二男は下垂している側の視力が健眼と比べてかなり悪い(不同視)ので
今後乱視をしっかり矯正して視力を出したい場合は、メガネでは難しい。コンタクトレンズが必要になってくるでしょう・・・と言ったことを説明されました。
二男の母親である私もまた強度の乱視をもっていて、メガネの矯正では十分な視力が出ませんので、納得いたしました。当の本人は、今のところの不具合はないとのことで、ひとまず様子見。
さて、まぶたの開き塩梅はというと、非常に良好。
下を向いた時の下眼瞼後退はあり、この写真を見た本人はちょっとショック受けていましたが 夜間の術眼の開眼も1ミリ程度で角膜にも問題なく。
この先どれくらい背が伸びるかわからないけど(ちなみに現在160センチ、ついに母の背を越えました)
身長の伸びが止まった時点で、もし本人からの要望があれば、再手術を検討しましょうということになりました。
今回にて、2013年8月の術後の検診は終了いたしました。N先生、たいへんお世話になりました。
(いただいた資料は 今後活用させていただきます)
今後も年に一度の定期の通院は継続ですが、大学側の都合により二男の主治医は再びK先生に戻ることなりました。
おまけ
帝○大の新校舎が完成したようで、工事用のフェンスが取り払われていました。道幅もひろくなりそうですし、校舎前は遊歩道になっていて、なんだかとっても素敵な空間になっていました。写真撮ってくれば良かった〜
2013年08月20日
おーば家次男 眼瞼下垂手術記 その7
まぶたの病気 眼瞼下垂の患者・家族を支援しているおーばです。
今回も、2013年8月上旬に実施したおーば家次男の眼瞼下垂修正手術のことを書きます。前回はこちら
今回は抜糸とその際に説明されたことなどを。
8月7日に退院してからも、目薬・眼軟膏や内服薬の管理も
全部本人に任せましたが、思ったよりもちゃんとできていたので
親としては なんだか拍子抜けするくらいに楽チンでした。
数日間は腫れもありましたが、日を追うごとに引いていきます。
8月15日木曜日 次男は帝京大学病院眼科外来を受診。
お盆期間だったので、病院に向かう電車はかなり空いていましたし
外来も半分くらいの先生が休診だったので、いつもよりもゆったりした雰囲気。
あまり待たずに診察に呼ばれました。
先生は、次男の写真を数枚撮りながら 現状を確認。
軽く閉眼させて、今までよりも若干兎眼(閉眼してもまぶたが閉じきらない状態)があることを確認。
下方視(目だけで下を向く)のとき、眼瞼後退によるびっくり目(下まぶたの動きに上まぶたがついてゆかないので、下垂の手術をした側の目がびっくりしたように大きく見開かれること)を確認。
眼瞼下垂があると、視界を確保するために顎を上げてものを見ることがありますが、次男はどーいうわけか顎を引く傾向があります。顎を引き、上目使いでものをみると、眼瞼下垂の症状は強調されます。
次男はこの日の診察の際も、最初、顎を引いたポジションを取っていましたが
この点を先生から指摘され、正面を向くと 目の大きさはほぼ左右差がなくなりました。
そして、今後の見通しについてもお話されました。
次男は今 私と同じくらいの身長です。今後数年間で身長はもう少しは伸びると思います。どのくらいまで伸びるかわかりませんが、背が高くなるということは見上げられるということ。
同じまぶたの状態でも見下ろされれば眼瞼下垂が目立ちますし、見上げると目立たないのです。
さきほどの「顎を引くかどうか」の話にもつながるのですが、周囲から見られる自分の顔について本人にもわかるように客観的に説明してくださいました。
自己を客観視するというのは案外難しいものです。
「自分で鏡で見るよりは、周囲はまぶたの下がりが気にならない」
ということを自覚できるというのは 実は貴重な体験です。
眼瞼下垂の手術の目的は まぶたを挙げて、ものを見やすくなること。
そして、下がっているまぶたをあるべき状態に戻すこと。
でも手術の成否は 患者の満足度次第なのだと思います。
だからこそ、手術前も手術中も手術後も 本人と会話をしながら
納得してもらいながら 進めてゆくのが大切なんだなーと思いました。
後半は、母目線か ナース目線か 患者支援者の目線かよく分からなくなりつつ。
まあ 順調な経過に胸をなでおろし 帰途についたのでありました。
次回は手術から6週間後に再診です。
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今回は抜糸とその際に説明されたことなどを。
8月7日に退院してからも、目薬・眼軟膏や内服薬の管理も
全部本人に任せましたが、思ったよりもちゃんとできていたので
親としては なんだか拍子抜けするくらいに楽チンでした。
数日間は腫れもありましたが、日を追うごとに引いていきます。
8月15日木曜日 次男は帝京大学病院眼科外来を受診。
お盆期間だったので、病院に向かう電車はかなり空いていましたし
外来も半分くらいの先生が休診だったので、いつもよりもゆったりした雰囲気。
あまり待たずに診察に呼ばれました。
先生は、次男の写真を数枚撮りながら 現状を確認。
軽く閉眼させて、今までよりも若干兎眼(閉眼してもまぶたが閉じきらない状態)があることを確認。
下方視(目だけで下を向く)のとき、眼瞼後退によるびっくり目(下まぶたの動きに上まぶたがついてゆかないので、下垂の手術をした側の目がびっくりしたように大きく見開かれること)を確認。
眼瞼下垂があると、視界を確保するために顎を上げてものを見ることがありますが、次男はどーいうわけか顎を引く傾向があります。顎を引き、上目使いでものをみると、眼瞼下垂の症状は強調されます。
次男はこの日の診察の際も、最初、顎を引いたポジションを取っていましたが
この点を先生から指摘され、正面を向くと 目の大きさはほぼ左右差がなくなりました。
そして、今後の見通しについてもお話されました。
次男は今 私と同じくらいの身長です。今後数年間で身長はもう少しは伸びると思います。どのくらいまで伸びるかわかりませんが、背が高くなるということは見上げられるということ。
同じまぶたの状態でも見下ろされれば眼瞼下垂が目立ちますし、見上げると目立たないのです。
さきほどの「顎を引くかどうか」の話にもつながるのですが、周囲から見られる自分の顔について本人にもわかるように客観的に説明してくださいました。
自己を客観視するというのは案外難しいものです。
「自分で鏡で見るよりは、周囲はまぶたの下がりが気にならない」
ということを自覚できるというのは 実は貴重な体験です。
眼瞼下垂の手術の目的は まぶたを挙げて、ものを見やすくなること。
そして、下がっているまぶたをあるべき状態に戻すこと。
でも手術の成否は 患者の満足度次第なのだと思います。
だからこそ、手術前も手術中も手術後も 本人と会話をしながら
納得してもらいながら 進めてゆくのが大切なんだなーと思いました。
後半は、母目線か ナース目線か 患者支援者の目線かよく分からなくなりつつ。
まあ 順調な経過に胸をなでおろし 帰途についたのでありました。
次回は手術から6週間後に再診です。
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2013年08月14日
おーば家次男 眼瞼下垂手術記 その6
まぶたの病気 眼瞼下垂の患者・家族を支援しているおーばです。
今回も、2013年8月上旬に実施したおーば家次男の眼瞼下垂修正手術のことを書きます。前回はこちら
今回は手術当日〜退院まで。
8月6日火曜日 次男は帝京大学病院で左眼の手術を受けました。
10年前とは違い、部分麻酔だったので前日の麻酔科医師の診察もありませんでした。
朝9時からの手術に備えて朝ごはん抜きでしたが
朝、私が病室を訪れるとリラックスした表情で過ごしていました。
母にあれこれ言われるのとムッと来るお年頃なので
極力本人のペースを見守りましたが
時間が来れば一人で術衣に着かえるし 母、用無しです。
定刻の少し前に 看護師さんに呼ばれて手術室に向かいました
帰ってきたのはちょうど1時間後。
車いすにのって戻ってきました。
左眼には折りたたんだガーゼが留められており 縫合部を圧迫していました。
本人思いのほか元気いっぱい。(ハイテンション)
手術が終わってホッとしたんでしょう。
その後少し眠って・・・目が覚めたころに麻酔が切れると
しばらくは、ガマンしてみる といっていたのですが
ガマンしなくっていいんだよーというと
自分でナースコールを押して 痛み止めを希望しました。
ちょうどお昼ご飯の時間で、痛みと空腹のためにかなり不機嫌になっていましたが
痛みどめが効くとお昼ご飯をしっかり完食して、その後はいつもの次男に戻りました。(笑)
夕方、病棟に呼ばれて、
N先生の診察を受けました。
行った手術の説明を受け、傷口の確認をしました。
この時点で創部から出血があるようならば、翌日の退院は無理と言われていましたが、
新たな出血もなく めでたく翌日に退院できることになりました。
抜糸は翌週のN先生の外来日に合わせること
その後は6週後と 12週後に再診することを確認
最後に 退院後のセルフケア(清潔にすること、冷やす事)
目薬や眼軟膏についても すべて本人に指導され
私はそれを見守るのみでした。
そして翌日の朝、私が病室に就いたときは
すでに左眼のガーゼは外れておりました。
手術の跡はもちろん「痛いよ」とのことでしたが
2泊3日の入院手術は 無事終わりました。
(つづく)
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今回も、2013年8月上旬に実施したおーば家次男の眼瞼下垂修正手術のことを書きます。前回はこちら
今回は手術当日〜退院まで。
8月6日火曜日 次男は帝京大学病院で左眼の手術を受けました。
10年前とは違い、部分麻酔だったので前日の麻酔科医師の診察もありませんでした。
朝9時からの手術に備えて朝ごはん抜きでしたが
朝、私が病室を訪れるとリラックスした表情で過ごしていました。
母にあれこれ言われるのとムッと来るお年頃なので
極力本人のペースを見守りましたが
時間が来れば一人で術衣に着かえるし 母、用無しです。
定刻の少し前に 看護師さんに呼ばれて手術室に向かいました
帰ってきたのはちょうど1時間後。
車いすにのって戻ってきました。
左眼には折りたたんだガーゼが留められており 縫合部を圧迫していました。
本人思いのほか元気いっぱい。(ハイテンション)
手術が終わってホッとしたんでしょう。
その後少し眠って・・・目が覚めたころに麻酔が切れると
しばらくは、ガマンしてみる といっていたのですが
ガマンしなくっていいんだよーというと
自分でナースコールを押して 痛み止めを希望しました。
ちょうどお昼ご飯の時間で、痛みと空腹のためにかなり不機嫌になっていましたが
痛みどめが効くとお昼ご飯をしっかり完食して、その後はいつもの次男に戻りました。(笑)
夕方、病棟に呼ばれて、
N先生の診察を受けました。
行った手術の説明を受け、傷口の確認をしました。
この時点で創部から出血があるようならば、翌日の退院は無理と言われていましたが、
新たな出血もなく めでたく翌日に退院できることになりました。
抜糸は翌週のN先生の外来日に合わせること
その後は6週後と 12週後に再診することを確認
最後に 退院後のセルフケア(清潔にすること、冷やす事)
目薬や眼軟膏についても すべて本人に指導され
私はそれを見守るのみでした。
そして翌日の朝、私が病室に就いたときは
すでに左眼のガーゼは外れておりました。
手術の跡はもちろん「痛いよ」とのことでしたが
2泊3日の入院手術は 無事終わりました。
(つづく)
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2013年08月13日
おーば家次男 眼瞼下垂手術記 その5+おまけ
まぶたの病気 眼瞼下垂の患者・家族を支援しているおーばです。
今回も、2013年8月上旬に実施したおーば家次男の眼瞼下垂修正手術のことを書きます。前回はこちら
さて、やっと入院当日のことを書きます。
(引っ張っちゃってすいません)
8月5日月曜日 次男は帝京大学 眼科の病棟に入院しました。
10年前に入院していた時は私も寝泊りしましたが、
今回はその必要もないので4人部屋に入りました。
この日は翌日の手術に備えた準備の日なので
入室時間の確認や、明日はお風呂に入れないので今日のウチにお風呂に入ってくださいなどの説明を受けます。
患者取り違えの事故を未然に防ぐために、リストバンドだけでなく
足の裏に自分で名前を書いたりするし、配薬や目薬のたびに
自分のなまえを言うなど、過剰とも思えるほどの確認・確認の連続。
そしてこの日の午後、主治医・N先生の診察で
入院前の受診の時の宿題を確認さてることになります。実際には前回受診の時すでに、「二重まぶたの手術だけ」にする気持ちは次男自身の気持ちとして固まっており、それを先生に告げました。
さてさて、先生も二重まぶたの形成を念頭に再度シュミレーションしてくださったのですが「耳側・・・」と言い始めました。細かな違いは次男にも私にも、よく分からなかったのですが、今回手術をする左目は、現在目尻のほうが若干下がっているとのこと。右目とのバランス的に考えても、左目の目尻の挙筋をほんの少しだけ挙げようかと提案されました。
挙筋を短くすればその分、目の閉じにくさが心配されるのですが、端の部分を少しだけ上げる程度ならば、その心配はほとんどない という説明もしていただきました。
執刀するからには、よりよく仕上げたいという、N先生のこだわりというか、信念を感じました。
次男も、そのほうが見た目に良くなるなら!と先生の提案を受けました。
◇ ◇ ◇
わたしは、ブログや掲示板などにアップされる いろいろな方の眼瞼下垂の体験を読むようにしています。
「眼科は、見えればいいだけの手術しかしない」
「形成外科はまぶたの仕上がりのことを配慮してくれない」
という言葉を読むこともあります。
それを理由に美容外科での手術を選択する人も多いと感じます。
眼科や形成外科は、そのような考え方の医師ばかりなのでしょうか。
患者としてはどんな手術だって「見た目」にこだわりたいし、仕上がりが気になるのは当たり前です。まして、まぶたの手術をするときに、見た目にこだわらずに満足できる人がいるとは思えません。どのように仕上がるか、見た目を整えることも本当に大切なことなのです。
だからといって眼瞼下垂が潜んでいるのにも気づけないような美容外科医は問題外です。(二重まぶたの手術をしても全然効果がなく、別の病院で診てもらって初めて眼瞼下垂と診断されるケース、多いです。)
NPOを作るとき『日本中の眼瞼下垂患者が苦労せずに手術を受けられる世の中にしたい。』っていう遠大な目標があって。今はまだそれには程遠い。
機能面も、見た目も、同じくらい大切にしてくれる医師であってほしい。もちろんたしかな技術を持っていてほしい。それに尽きます。
眼科、形成、美容外科と 眼瞼下垂を手術する診療科はあるわけですが、
結局は、どの診療科に行くかではなく、良い医師に診てもらうというところなのでしょう。
当NPOの今後のありかたとして、「信頼できる医師」を公正な立場で紹介できるような体制を整えてゆかなければと、改めて感じました。
次回は手術当日のお話を書きます。
(つづく)
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さて、やっと入院当日のことを書きます。
(引っ張っちゃってすいません)
8月5日月曜日 次男は帝京大学 眼科の病棟に入院しました。
10年前に入院していた時は私も寝泊りしましたが、
今回はその必要もないので4人部屋に入りました。
この日は翌日の手術に備えた準備の日なので
入室時間の確認や、明日はお風呂に入れないので今日のウチにお風呂に入ってくださいなどの説明を受けます。
患者取り違えの事故を未然に防ぐために、リストバンドだけでなく
足の裏に自分で名前を書いたりするし、配薬や目薬のたびに
自分のなまえを言うなど、過剰とも思えるほどの確認・確認の連続。
そしてこの日の午後、主治医・N先生の診察で
入院前の受診の時の宿題を確認さてることになります。実際には前回受診の時すでに、「二重まぶたの手術だけ」にする気持ちは次男自身の気持ちとして固まっており、それを先生に告げました。
さてさて、先生も二重まぶたの形成を念頭に再度シュミレーションしてくださったのですが「耳側・・・」と言い始めました。細かな違いは次男にも私にも、よく分からなかったのですが、今回手術をする左目は、現在目尻のほうが若干下がっているとのこと。右目とのバランス的に考えても、左目の目尻の挙筋をほんの少しだけ挙げようかと提案されました。
挙筋を短くすればその分、目の閉じにくさが心配されるのですが、端の部分を少しだけ上げる程度ならば、その心配はほとんどない という説明もしていただきました。
執刀するからには、よりよく仕上げたいという、N先生のこだわりというか、信念を感じました。
次男も、そのほうが見た目に良くなるなら!と先生の提案を受けました。
◇ ◇ ◇
わたしは、ブログや掲示板などにアップされる いろいろな方の眼瞼下垂の体験を読むようにしています。
「眼科は、見えればいいだけの手術しかしない」
「形成外科はまぶたの仕上がりのことを配慮してくれない」
という言葉を読むこともあります。
それを理由に美容外科での手術を選択する人も多いと感じます。
眼科や形成外科は、そのような考え方の医師ばかりなのでしょうか。
患者としてはどんな手術だって「見た目」にこだわりたいし、仕上がりが気になるのは当たり前です。まして、まぶたの手術をするときに、見た目にこだわらずに満足できる人がいるとは思えません。どのように仕上がるか、見た目を整えることも本当に大切なことなのです。
だからといって眼瞼下垂が潜んでいるのにも気づけないような美容外科医は問題外です。(二重まぶたの手術をしても全然効果がなく、別の病院で診てもらって初めて眼瞼下垂と診断されるケース、多いです。)
NPOを作るとき『日本中の眼瞼下垂患者が苦労せずに手術を受けられる世の中にしたい。』っていう遠大な目標があって。今はまだそれには程遠い。
機能面も、見た目も、同じくらい大切にしてくれる医師であってほしい。もちろんたしかな技術を持っていてほしい。それに尽きます。
眼科、形成、美容外科と 眼瞼下垂を手術する診療科はあるわけですが、
結局は、どの診療科に行くかではなく、良い医師に診てもらうというところなのでしょう。
当NPOの今後のありかたとして、「信頼できる医師」を公正な立場で紹介できるような体制を整えてゆかなければと、改めて感じました。
次回は手術当日のお話を書きます。
(つづく)
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2013年08月12日
おーば家次男 眼瞼下垂手術記(10年ぶり2回目)その4
まぶたの病気 眼瞼下垂の患者・家族を支援しているおーばです。
今回も、2013年8月上旬に実施したおーば家次男の眼瞼下垂修正手術のことを書きます。前回はこちら
今日は「育成医療」の申請の話。
これも10年ぶりに申請しましたが、ずいぶん変わっていましたので
今回、まとめて記録しておくことにいたします。
正式名称は自立支援医療(育成医療)制度といいます。
2013年4月1日から、実施主体が市町村に移管されたばかりです。
もともとの育成医療制度が、7年前(2006年)に今の制度に統合されました。
育成医療でもピンとこないのに、自立支援医療とは・・・
「公費で負担する」という観点で他の制度と統合した経緯があり、
ますますピンとこない制度名になってしまったような・・・。
この項では便宜上 育成医療とのみ書かせていただきます。
この制度の対象は、身体に障害を有する児童で、その障害を除去・軽減する手術等の治療により確実に効果が期待できる者(18歳未満)です。
厚生労働省のサイトを見ても、対象疾患リストに先天性眼瞼下垂とは書いていませんが、
帝京大眼科外来の書類には
とありました。
今回私は、手術の日程が確定した段階で病院から申請を案内されました。
今年の5月中旬のことです。じつは、10年前の時も申請ておりましたが、
この時まで育成医療のことはすっかり忘れておりました。
私のように通院中の施設から案内されるまで、このような制度があること知らない患者さんも多いかもしれません。あるいは、育成医療の案内をしない病院もあるかもしれません。
先天性眼瞼下垂の手術は、育成医療の対象になりますし、眼瞼下垂以外でも、先天性であれば17歳までの手術にはこの制度を活用できる可能性が高いので、心当たりのあるかたは覚えておくといいかもしれません。
さて、病院からの案内には保健所が窓口と書いてあったので、何の疑いもなく保健所に行ったのですが、窓口の担当者がちょっと混乱しながら調べてくださって
「市役所の『子育て給付課』へ」と教えてくれました。
(おそらく自治体ごとに担当課の名称は違うと思われます。)
市役所の窓口では何枚かの用紙を渡され、
「主治医に、所定の『意見書』に記入してもらったうえで 他の書類とともに提出してください。担当課で審査します。治療の内容や、所得制限があるので非該当になる場合もありますが、通常一か月程度で育成医療の認定通知が出ます。」と説明されました。
今回、市町村に移管されたことで、自治体によっては認定条件が違いがあるようでした。
病院へは「意見書」と返信用の封筒を送り、自宅に返送してもらい(5月末ころ)
すぐに市役所に申請しますと 6月19日付で認定通知が発行されました。
所得に応じて、自己負担額が決定いたします。
なお、今回調べてみてわかったこと。2006年に制度が変わったとき、当初の計画では「低所得者のみ」を対象者にしたものの、2013年3月31日までの経過的特例として中間所得者層も対象に加えられ、更にこの経過的特例が2015年3月31日まで延長いたしました。
育成医療については、おすまいの市町村の最新の情報をご確認のうえ、申請を検討していただきたいと思います。
(つづく)
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今回も、2013年8月上旬に実施したおーば家次男の眼瞼下垂修正手術のことを書きます。前回はこちら
今日は「育成医療」の申請の話。
これも10年ぶりに申請しましたが、ずいぶん変わっていましたので
今回、まとめて記録しておくことにいたします。
正式名称は自立支援医療(育成医療)制度といいます。
2013年4月1日から、実施主体が市町村に移管されたばかりです。
もともとの育成医療制度が、7年前(2006年)に今の制度に統合されました。
育成医療でもピンとこないのに、自立支援医療とは・・・
「公費で負担する」という観点で他の制度と統合した経緯があり、
ますますピンとこない制度名になってしまったような・・・。
この項では便宜上 育成医療とのみ書かせていただきます。
この制度の対象は、身体に障害を有する児童で、その障害を除去・軽減する手術等の治療により確実に効果が期待できる者(18歳未満)です。
厚生労働省のサイトを見ても、対象疾患リストに先天性眼瞼下垂とは書いていませんが、
帝京大眼科外来の書類には
「対象者」は、18歳未満で入院手術を受ける方
「対象疾患名」として、リストアップしていたのは、
斜視、眼瞼下垂、眼瞼内反症、眼瞼外反症、眼瞼欠損、兎眼症、眼球癒着、白内障、角膜白斑、瞳孔閉鎖症、緑内障、その他
入院室料差額、材料費などが給付対象外、収入により一部自己負担が生じます
とありました。
今回私は、手術の日程が確定した段階で病院から申請を案内されました。
今年の5月中旬のことです。じつは、10年前の時も申請ておりましたが、
この時まで育成医療のことはすっかり忘れておりました。
私のように通院中の施設から案内されるまで、このような制度があること知らない患者さんも多いかもしれません。あるいは、育成医療の案内をしない病院もあるかもしれません。
先天性眼瞼下垂の手術は、育成医療の対象になりますし、眼瞼下垂以外でも、先天性であれば17歳までの手術にはこの制度を活用できる可能性が高いので、心当たりのあるかたは覚えておくといいかもしれません。
さて、病院からの案内には保健所が窓口と書いてあったので、何の疑いもなく保健所に行ったのですが、窓口の担当者がちょっと混乱しながら調べてくださって
「市役所の『子育て給付課』へ」と教えてくれました。
(おそらく自治体ごとに担当課の名称は違うと思われます。)
市役所の窓口では何枚かの用紙を渡され、
「主治医に、所定の『意見書』に記入してもらったうえで 他の書類とともに提出してください。担当課で審査します。治療の内容や、所得制限があるので非該当になる場合もありますが、通常一か月程度で育成医療の認定通知が出ます。」と説明されました。
今回、市町村に移管されたことで、自治体によっては認定条件が違いがあるようでした。
病院へは「意見書」と返信用の封筒を送り、自宅に返送してもらい(5月末ころ)
すぐに市役所に申請しますと 6月19日付で認定通知が発行されました。
所得に応じて、自己負担額が決定いたします。
なお、今回調べてみてわかったこと。2006年に制度が変わったとき、当初の計画では「低所得者のみ」を対象者にしたものの、2013年3月31日までの経過的特例として中間所得者層も対象に加えられ、更にこの経過的特例が2015年3月31日まで延長いたしました。
育成医療については、おすまいの市町村の最新の情報をご確認のうえ、申請を検討していただきたいと思います。
(つづく)
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2013年08月11日
おーば家次男 眼瞼下垂手術記(10年ぶり2回目)その3
まぶたの病気 眼瞼下垂の患者・家族を支援しているおーばです。
今回も、2013年8月上旬に実施したおーば家次男の眼瞼下垂修正手術のことを書きます。前回はこちら
2013年7月11日に術前検査と術前検診を受けに行きました。
今回の手術は部分麻酔で行いますが 手術をするのに問題がないかどうかは
やっぱり一通りの検査は するんですね〜。
結果、問題なし。
そして、主治医Nせんせいと本人の間で
今回、どんな手術をするかを 確認しました。
次男の場合、10年前の手術で短縮した挙筋は今もその働きを維持しています。
入眠時にも1ミリ程度の薄目を開いた状態であることと(兎眼)
下方注視したときに下垂している方の眼が大きく見開かれる(眼瞼後退)は
挙筋短縮するほどにその程度が大きくなる ということを
針金状の器具を使って シュミレーションし、なんまいか写真を撮る。
もう1点「成長期の難しいところ」と先生は称していたが
下から見ると 眼瞼下垂は目立ちにくいのです。
特に男子は高身長になるほどに、見下ろされることがほとんどなくなる。
現在、次男は私とほぼおなじ身長。
ココからあと何センチ伸びるかは、神のみぞ知るところではあるが
必ずしも、自分が鏡を見たときの目の大きさにこだわる必要ないということは、理解できた様子。
具体的に、自分の顔がどう変化するのかを写真や鏡を見ながら説明を受け、
N先生は次男に「さあ、どんな手術にしようか?」と聞きました。
もちろん 親である私もその場には立ち合いましたが、発言権はありません。
決めるのは 次男自身です。
自分自身で決めなければならないということにとまどい 口ごもっていると
「手術の前日に、最終的に聞くから そのときには答えられるように
考えてきてね」と 猶予を与えられると ちょっとホッとしながら、その日は帰宅しました。
その日の夜に次男に確認したところ、「まぶたの筋肉の手術はしないで
二重まぶたの手術だけにしたい」という考えがまとまりました。
(つづく)
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今回も、2013年8月上旬に実施したおーば家次男の眼瞼下垂修正手術のことを書きます。前回はこちら
2013年7月11日に術前検査と術前検診を受けに行きました。
今回の手術は部分麻酔で行いますが 手術をするのに問題がないかどうかは
やっぱり一通りの検査は するんですね〜。
結果、問題なし。
そして、主治医Nせんせいと本人の間で
今回、どんな手術をするかを 確認しました。
次男の場合、10年前の手術で短縮した挙筋は今もその働きを維持しています。
入眠時にも1ミリ程度の薄目を開いた状態であることと(兎眼)
下方注視したときに下垂している方の眼が大きく見開かれる(眼瞼後退)は
挙筋短縮するほどにその程度が大きくなる ということを
針金状の器具を使って シュミレーションし、なんまいか写真を撮る。
もう1点「成長期の難しいところ」と先生は称していたが
下から見ると 眼瞼下垂は目立ちにくいのです。
特に男子は高身長になるほどに、見下ろされることがほとんどなくなる。
現在、次男は私とほぼおなじ身長。
ココからあと何センチ伸びるかは、神のみぞ知るところではあるが
必ずしも、自分が鏡を見たときの目の大きさにこだわる必要ないということは、理解できた様子。
そういえば的に 思い出したことがあります。
親である私は 常にわが子を見下ろしているし 子は親を見上げますが
この上を見上げる(上方注視)は一番眼瞼下垂が顕著に表れるポジション。
これは どうしても 気になってしまう。
でも 位置関係によっては 気にならない時もありました。
わが子を仰向きに寝かせて 向き合う体制でおむつを替えるのだけど
この時だけは わが子は下方注視になっていて、
「いつも、これくらい開いているといいんだけれど・・・。」と
思っていたんですよね・・・。
具体的に、自分の顔がどう変化するのかを写真や鏡を見ながら説明を受け、
N先生は次男に「さあ、どんな手術にしようか?」と聞きました。
もちろん 親である私もその場には立ち合いましたが、発言権はありません。
決めるのは 次男自身です。
自分自身で決めなければならないということにとまどい 口ごもっていると
「手術の前日に、最終的に聞くから そのときには答えられるように
考えてきてね」と 猶予を与えられると ちょっとホッとしながら、その日は帰宅しました。
その日の夜に次男に確認したところ、「まぶたの筋肉の手術はしないで
二重まぶたの手術だけにしたい」という考えがまとまりました。
(つづく)
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2013年08月10日
おーば家次男 眼瞼下垂手術記(10年ぶり2回目)その2
まぶたの病気 眼瞼下垂の患者・家族を支援しているおーばです。
今回も、2013年8月上旬に実施したおーば家次男の眼瞼下垂修正手術のことを書きます。前回はこちら
今日は、2003年の手術から10年間 次男はどんな感じだったかということを
振り返ってみます。
2歳8か月で最初の手術をした後も、そのまま帝京大眼科に定期的に通院して
1、視力のチェック
2、まぶたの形やその後の下垂の状況のチェック
3、角膜に異常がないか
などを 診ていただいておりました。
帝京に診ていただく前から 次男は下垂している方の眼に乱視と遠視があえうのが分かっていましたが
10年前は まだ漫然と「眼瞼下垂の手術をすれば、視力の左右差もなくなる」
というような認識を持っていました。
実際、まぶたを挙げる手術をして、3歳になっても
下垂側の視力の伸びは思わしくない。健眼との差は開いてゆき
それでも「即・メガネ」にはならない程度で様子をみており
しかし5歳になって やっぱりメガネによる視力矯正をした方がいいでしょうということになりました。
親として、最初は「やっぱり避けられないか」と落胆したものの
メガネは微妙に左右差の残る目の大きさをカバーしてくれました。
以来現在も メガネをかけ続けております。
一般に視機能は6〜8歳で完成すると言いますので
いわば追い込みをかけたようなものですが、
さすがに5歳ともなれば親や先生の言うことが分かるようになるもので、
それに、メガネを通してみた方が良く見えるということも実感できたようで
メガネをかけた生活にはスムーズに移行できました
小学校低学年のころにはすでに「矯正視力」は下垂していた方が良いくらいに
視機能が 向上いたしました。
視力の問題からは卒業できたものの
見た目の症状は残っていたので、やはり毎年帝京には通院していて
「まぶたの手術、どうしますか?」という話も必ず出てきます。
親としては、多少左右差のある目の大きさにもすっかり見慣れてしまい
本人の望む時期までは再手術はしなくていい と思うようになりました。
ですので2012年の夏に本人から「手術したい」という言葉を聞いたときには
かなり意外だなと思いました。
というのも 次男は親に対して 眼瞼下垂であることの不満や不便さなどを
ほとんどくちにしたことが無かったから。
別に気にせず生きているものだとばっかり思っていたんです。
そうでもなかった ということです。
一つの誤算があったとすれば
本人的には小学校を卒業し、中学に入る前の春休みに手術を受けたかったようですが
夏休みと春休みは、特に手術をする予定が多くなるため
希望の時期の手術ができず 夏休みまで待たねばならなかったということ。
まあ、まぶたの手術はどうしても腫れるので
仮に春休みに手術していたら まだ腫れの残る顔で中学に入学することになっていたし
長い夏休みに手術が受けられて良かったと思っております。
時期の問題というのは 正解がないものですが・・・。
今日はこの辺で。続きは次回。
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今日は、2003年の手術から10年間 次男はどんな感じだったかということを
振り返ってみます。
2歳8か月で最初の手術をした後も、そのまま帝京大眼科に定期的に通院して
1、視力のチェック
2、まぶたの形やその後の下垂の状況のチェック
3、角膜に異常がないか
などを 診ていただいておりました。
帝京に診ていただく前から 次男は下垂している方の眼に乱視と遠視があえうのが分かっていましたが
10年前は まだ漫然と「眼瞼下垂の手術をすれば、視力の左右差もなくなる」
というような認識を持っていました。
実際、まぶたを挙げる手術をして、3歳になっても
下垂側の視力の伸びは思わしくない。健眼との差は開いてゆき
それでも「即・メガネ」にはならない程度で様子をみており
しかし5歳になって やっぱりメガネによる視力矯正をした方がいいでしょうということになりました。
親として、最初は「やっぱり避けられないか」と落胆したものの
メガネは微妙に左右差の残る目の大きさをカバーしてくれました。
以来現在も メガネをかけ続けております。
一般に視機能は6〜8歳で完成すると言いますので
いわば追い込みをかけたようなものですが、
さすがに5歳ともなれば親や先生の言うことが分かるようになるもので、
それに、メガネを通してみた方が良く見えるということも実感できたようで
メガネをかけた生活にはスムーズに移行できました
小学校低学年のころにはすでに「矯正視力」は下垂していた方が良いくらいに
視機能が 向上いたしました。
視力の問題からは卒業できたものの
見た目の症状は残っていたので、やはり毎年帝京には通院していて
「まぶたの手術、どうしますか?」という話も必ず出てきます。
親としては、多少左右差のある目の大きさにもすっかり見慣れてしまい
本人の望む時期までは再手術はしなくていい と思うようになりました。
ですので2012年の夏に本人から「手術したい」という言葉を聞いたときには
かなり意外だなと思いました。
というのも 次男は親に対して 眼瞼下垂であることの不満や不便さなどを
ほとんどくちにしたことが無かったから。
別に気にせず生きているものだとばっかり思っていたんです。
そうでもなかった ということです。
一つの誤算があったとすれば
本人的には小学校を卒業し、中学に入る前の春休みに手術を受けたかったようですが
夏休みと春休みは、特に手術をする予定が多くなるため
希望の時期の手術ができず 夏休みまで待たねばならなかったということ。
まあ、まぶたの手術はどうしても腫れるので
仮に春休みに手術していたら まだ腫れの残る顔で中学に入学することになっていたし
長い夏休みに手術が受けられて良かったと思っております。
時期の問題というのは 正解がないものですが・・・。
今日はこの辺で。続きは次回。
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2013年08月09日
おーば家次男 眼瞼下垂手術記(10年ぶり2回目)その1
まぶたの病気、眼瞼下垂の患者と家族を支援している おーばです。
私が患者支援の活動をするきっかけは
2000年に生まれた次男が先天性眼瞼下垂だったからです。
次男は2003年に 帝京大眼科で挙筋短縮術を受けております。(2歳8か月のときでした)特に
その後も定期的に帝京大学附属病院に通院をしていましたが
このたび、再手術を受けました。
過去の日記にも書いであることではありますが
1度目の手術の時 挙筋を短縮する手術は問題なく行われたものの
二重まぶたを形成するのに使っていた糸(バイクリル)が身体に吸収されたとき
二重が戻ってしまうというトラブルがありました。
(バイクリルは約3週間で溶けて人体に吸収されるようになっています)
そのため 目の大きさの左右差は術後も残ってしまいました
帝京では、長い歴史 数多い手術の中でも
次男のようなトラブルは前代未聞だったということです。
そして、次男の手術とその後の経過を踏まえて それ以降の手術では
バイクリルを使わず、より吸収までに時間のかかるPDSという糸を使うようになり
(吸収されるまでに、倍の6週間かかるようです)
以降、二重が外れてしまうというトラブルは一度も起きていないということです。
10年前から いつ再手術をしようかという話だったのですが
視野の確保はできるようになっていましたので
「本人が再手術を望んだとき」にやりましょう ということになりました。
毎年一回、術後のチェックのために受診をしておりましたが
そのたびに本人に 再手術をやってみないか?と本人に聞いていて
「したくない」「しなくていい」という返事が続いていました。
そんな次男が「手術、そろそろやってみようか」と言ったのは
2012年の受診の際、小学校6年の夏休みです。
本人としては 小学校を卒業した春休みに手術をしたいという気持ちがあったようなのですが、
夏休み・春休みというのは手術の予定が集中してしまいます。
本人が希望したときに、春休みの手術は もはや満員でして
それなら、という感じで 中一の夏休み(つまり今回)の手術となりました。
(つづく)
「NPO法人眼瞼下垂の会」のホームページも合わせてご覧ください。NPO法人眼瞼下垂の会では会員を募集しています。
Facebookにてfacebookページ「眼瞼下垂の会」を開いています。
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私が患者支援の活動をするきっかけは
2000年に生まれた次男が先天性眼瞼下垂だったからです。
次男は2003年に 帝京大眼科で挙筋短縮術を受けております。(2歳8か月のときでした)特に
その後も定期的に帝京大学附属病院に通院をしていましたが
このたび、再手術を受けました。
過去の日記にも書いであることではありますが
1度目の手術の時 挙筋を短縮する手術は問題なく行われたものの
二重まぶたを形成するのに使っていた糸(バイクリル)が身体に吸収されたとき
二重が戻ってしまうというトラブルがありました。
(バイクリルは約3週間で溶けて人体に吸収されるようになっています)
そのため 目の大きさの左右差は術後も残ってしまいました
帝京では、長い歴史 数多い手術の中でも
次男のようなトラブルは前代未聞だったということです。
そして、次男の手術とその後の経過を踏まえて それ以降の手術では
バイクリルを使わず、より吸収までに時間のかかるPDSという糸を使うようになり
(吸収されるまでに、倍の6週間かかるようです)
以降、二重が外れてしまうというトラブルは一度も起きていないということです。
10年前から いつ再手術をしようかという話だったのですが
視野の確保はできるようになっていましたので
「本人が再手術を望んだとき」にやりましょう ということになりました。
毎年一回、術後のチェックのために受診をしておりましたが
そのたびに本人に 再手術をやってみないか?と本人に聞いていて
「したくない」「しなくていい」という返事が続いていました。
そんな次男が「手術、そろそろやってみようか」と言ったのは
2012年の受診の際、小学校6年の夏休みです。
本人としては 小学校を卒業した春休みに手術をしたいという気持ちがあったようなのですが、
夏休み・春休みというのは手術の予定が集中してしまいます。
本人が希望したときに、春休みの手術は もはや満員でして
それなら、という感じで 中一の夏休み(つまり今回)の手術となりました。
(つづく)
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2013年07月20日
次男、再手術に向けて
まぶたの病気、眼瞼下垂の患者と家族を支援しているおーばです。
去年の夏に「そろそろ再手術がしたい」と言った次男。この夏13歳になります。
最初の手術は10年前、全身麻酔で行いましたが
今度の手術は、部分麻酔下で行われます。
10年前とは違い、術中に本人に鏡を見せてまぶたの上がり具合や重瞼の調整をができます。
7月中旬に術前検査と診察のために受診しましたが
この際、主治医に言われたのは、「さて、どこまで上げようか?」ということ。
そう聞かれた次男は当然のように
「正面から見て、左右差がないように」と答えたのですが
先生は「うーん、みんなそう希望するんだよ。でもね・・・」
針金状の器具を使ってまぶたを挙げた状態をシュミレーションして
何枚かの写真を撮影してくれました。
次男の場合は 今は兎眼(眼をつぶった時に薄目が開く)はなく
眼瞼後退(下のものを見る時に、下眼瞼の動きに上眼瞼がついてゆかず手術した方の目が大きく見開かれること。びっくり目)が軽度あるのですが、
今度の手術で再度挙筋をいじることで、
兎眼も眼瞼後退も 今以上に目立ってくるだろうという説明です。
今回の手術で挙筋を更に短縮するかどうかは
手術前日までに決めればいいから、よく考えて決めてくださいと言われました。
一方、10年前の手術の数週間後に「一重まぶたに戻ってしまった」部分を再形成する手術は
やる意味があるだろう とのこと。
なので、いずれにしても 手術は受けます。
2泊もしくは3泊の入院になるということです。
今回は 親は付き添わないで大部屋に入院してもらいます。
(それでもたぶん、毎日 母は通うことになるでしょうが。)
今年の夏は、こんな感じで若干あわただしくなります。
今回の記事は私ごとで恐縮です。お読みいただき、ありがとうございます。
「NPO法人眼瞼下垂の会」のホームページも合わせてご覧ください。NPO法人眼瞼下垂の会では会員を募集しています。
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去年の夏に「そろそろ再手術がしたい」と言った次男。この夏13歳になります。
最初の手術は10年前、全身麻酔で行いましたが
今度の手術は、部分麻酔下で行われます。
10年前とは違い、術中に本人に鏡を見せてまぶたの上がり具合や重瞼の調整をができます。
7月中旬に術前検査と診察のために受診しましたが
この際、主治医に言われたのは、「さて、どこまで上げようか?」ということ。
そう聞かれた次男は当然のように
「正面から見て、左右差がないように」と答えたのですが
先生は「うーん、みんなそう希望するんだよ。でもね・・・」
針金状の器具を使ってまぶたを挙げた状態をシュミレーションして
何枚かの写真を撮影してくれました。
次男の場合は 今は兎眼(眼をつぶった時に薄目が開く)はなく
眼瞼後退(下のものを見る時に、下眼瞼の動きに上眼瞼がついてゆかず手術した方の目が大きく見開かれること。びっくり目)が軽度あるのですが、
今度の手術で再度挙筋をいじることで、
兎眼も眼瞼後退も 今以上に目立ってくるだろうという説明です。
今回の手術で挙筋を更に短縮するかどうかは
手術前日までに決めればいいから、よく考えて決めてくださいと言われました。
一方、10年前の手術の数週間後に「一重まぶたに戻ってしまった」部分を再形成する手術は
やる意味があるだろう とのこと。
なので、いずれにしても 手術は受けます。
2泊もしくは3泊の入院になるということです。
今回は 親は付き添わないで大部屋に入院してもらいます。
(それでもたぶん、毎日 母は通うことになるでしょうが。)
今年の夏は、こんな感じで若干あわただしくなります。
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