まぶたの病気 眼瞼下垂の患者と家族の支援をしているおーばです。
先日、私は地元のNPOマネージメントセミナーというものに参加しました。
パネリストのひとりに NPO法人「育てあげ」ネットの代表 工藤啓さんがいらっしゃいました。
私よりも10歳も若いのですが すでにこの団体の運営を10年続けている人で
セミナーでは「NPOの運営戦略」について
たくさんの参考になる話を聞いて帰ってきました。
で、この工藤さんのご著書もすでに何冊も出ていますが
最新刊が出たところだったので、さっそく読んでみました
ここで本全体の詳細な説明をするのは控えますが
「知識も能力もあるのに働けない」若者が 実は思ったよりも多くいる。という事実は衝撃でした。
この本には いくつかの具体的な事例が紹介されていますが
そのうちのある事例に ・・・ドキっとしました。
親に安心してもらいたいという気持ちから
自分自身の意に染まぬ離転職を繰り返す若者の話です。
子どもは「早く親を安心させたい」と願い
しかし親はどうかというとほとんどの親は「自分らしく働いてほしい」と願います。
お互いがお互いのことを本当に大切に思っていて
でも 結果的にそれが選択の幅を狭めたり 自分自身が苦しいということになっている…ということを ものすごくわかりやすく書いていて
そう!そうなのよ。
と 思わず 本を読みながら声が出そうになりました。
おんなじ現象は いたるところにあります。
眼瞼下垂も とりわけ先天性眼瞼下垂のお子さんとその親の関係は
何とも言えぬもどかしさや 一筋縄ではいかない「想い」を感じます。
私自身もかつてはそうだったのですが
親は子どもの病気の責任を一身に背負おうとします。
一方 子どもにとっては眼瞼下垂は「自分の問題」でしかありません
このまぶたのことを 気にするにしろ、気にしないにしろ
だれかから何かを言われようが 言われまいが
それは親のせいではない と考えるようです。
いやむしろ まぶたのことで「ごめんね」なんて
言ってほしくはないのだと思うのです。
まあ 時には勢いで「なんでこんなまぶたに産んだの?」
と 言ってしまうこともあるけれど(特に思春期あたりで)
そのことだけで 親を憎み続けたり恨み続ける人の話を
わたしはきいたことがありません。
一方、親の問題として、
かつては わが子をうまく愛せなくなってしまった親の話を、まれに聞くこともあったけれど、それは 親自身の孤立感や未熟さ そしてそんな親をサポートできる人がいなかったから なのかもしれないと わたしは思っています。
今でも、当事者のかたから
眼瞼下垂でずっと 嫌な思いもしてきたけれど 親には感謝している。
でも まぶたのことを親に話すと「ちゃんと産んであげられなくてごめんなさい」と言われるので 親には話をしにくい状況。
今、手術をしたいと思っているのだけれど なかなか切り出しにくくって・・・
という内容の メールを 時々いただきます。
そんな 心優しい若き当事者のかたへ これまでは
「とにかく、親に自分の気持ちをしっかり伝えてみましょう」としか言えなかったのですが
これからは こんな言葉にしてみようと思っています。
親は、子どもの幸せをいつも一心に願っています。
あなたの本当のきもちを 遠慮して言えなかったのだ、と知ったなら
あなたの親はきっと そんな風に思っていたの?と驚くかもしれませんね。
相手を思いやるばかりに本当にしたいことができなくなるのではなく
本当のきもちを しっかり伝えあうことが 大切なのだと思います。
長い文章 お読みいただきありがとうございました。
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2012年11月15日
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