まぶたの病気 眼瞼下垂の患者・家族を支援しているおーばです。
わたしがこの活動を始めたきっかけは、
私の次男が 先天性眼瞼下垂という病気をもって生まれてきたからです。
次男は2000年に生まれました。
次男が生まれるまで いや 生まれてしばらくの間は
「がんけんかすい」という言葉さえ知りませんでした。
最初は 生まれた喜びでいっぱいでした。
生後1日目で 片方のまぶたが開かないことに初めて気づき
2日、3日と日が過ぎても一向に開かないまぶたに どんどん不安になり
看護師さんに聞いても、「そのうち開きますよ」と言われるばかりで
産院を退院するときにもまぶたのことを聞いても
「様子を見て」と言われるばかり。
里帰り先の実家での毎日も まぶたのことばかりが気になっていました。
いつか開くんだろうか
このままずっと開かないんだろうか
お産の時の私の呼吸法か何かがまずくて、こうなっちゃったんだろうか
それとも悪い病気なのか
神経がきれて こうなっちゃったんだろうか
妊娠中に ちょっとだけお酒をのんだのが悪かったのか
妊娠初期に 夫と大喧嘩したっけ。
仕事でいろんな薬品にふれたりしたのが原因かな
・・・なににしろ ちゃんと産んであげられなくって、ごめんね
その後、1か月検診で「眼科を受診するように」と言われ
眼科で「先天性眼瞼下垂の疑い」と言われ
やっと、わが子の病気のことを調べることができるようになりました。
今にして思うと、やみくもに不安だった最初の1か月はつらかったなあ
病名を知らずにいたときは 調べようがなかったですからね。
2000年当時は、ネット上の情報もまだまだ少なかったですし
私自身もITリテラシーがまだまだ未熟でしたから、
今のパパ・ママのようには うまく情報収集できなかった。
ただ うまく情報収集できなかった分
当時の私は おもしろい考えかたをしていました。
ネットに情報がないならば それは 私が作ればいいんだ。
眼瞼下垂という病名に行きつくまでに 私はものすごく不安を感じました
眼瞼下垂で生まれてくる赤ちゃんがどれだけいるかは 知らないけれど、
次に眼瞼下垂で生まれた赤ちゃんとそのお母さんには
私のような不安や苦しみや悲しみを 味わってほしくない
・・・そう思ってしまったんですね、
こうしてみると
12年前の私は なかなかガッツのあるママだったんだな。
あのころの自分に 叱られないように
もっと もっと がんばらなくちゃと 思います。
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2012年11月12日
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