おかげさまでNPO法人が設立しましたが、
これからもこのブログでは
眼瞼下垂の病気にまつわる私個人の思いを 伝えていこうと思います。
今回とりあげるのは、最近目にしたお話。
この話、facebookで友人から紹介されてきたものを私も読み、
シェアしたところ そこからもさらに感動は広まっていっています・・・。
今回はこの話を読んで、私が思ったことを書きます。
そのおはなしというのがこれ ↓
君は不思議に思わなかったのかい。
感動的な話です。
でも 実にいろいろ考えさせられる話なのです。
ひとつは、親として わが子の障害にどう立ち向かうかという覚悟について。
「障害があるってことで 負けてほしくない」
そのためには仕事だって辞める という強い覚悟をもったこと。
この「思い」は 同じ立場の多くの親が持っていることと思っています。
先天性眼瞼下垂の子を持つ親も そうです。
「最高の医療を受けさせたい」と思うし、
そのためならどんな苦労もいとわないぞと決意する。
自分にできるのは それだけ なんです。
本当は代わってあげたい。でもそれかかなわないならば
眼瞼下垂だということが わが子の将来に暗い影を落とすようなことは
徹底的に排除しなければ!って 思うのです
このお話の「ドラマ」の部分でもあるのですが
成長する過程で 息子は障害を受け入れる過程で苦労してきたのは
「父親」が 息子に多くを語ってこなかったことが 原因だと思ってます
あえて いろいろな事情を語らなかったのは
それが息子に対する愛情だと思っていたから だろうし
日本人の美徳とされてきたから かもしれない
加えて、眼瞼下垂の場合は手術すると障害が目立たなくなる。
でも「眼瞼下垂をなかったことに」できるわけじゃない。
私は、真実(本当のこと)はいいことも悪いことも
隠すべきではない できるだけオープンにするのがいい
と思っている人間なので
父に真実をなかなか明かしてもらえなかった息子を思うと
かわいそうだったなって思ってしまうわけです。
この話の「先生」となる存在がなかったとしたら
「息子」はこの先の人生も 暗く恨みがましい気持ちだけで
生きてゆかなければならなかったわけで、
いやあ 先生がいてくれて 良かったなと思わずにはいられないのです。
現実問題で、自分の境遇を受容しきれずに恨みの気持ちで生きている人は少なくないのです。
「先生」的な存在は必ずしもも存在するわけではないと思うのです。
わたしは当事者と親の間に立ち 相互の理解を深めるためのお手伝いをしたくて
「患者支援」の活動を続ける決意をしたのです。
と、かっこいいことを書きましたが 実は意識しないうちに始めていたのですよ。
親も苦しくて、子も苦しくて
両方とも わかち合えなくって。
でも 親の気持ちを子が理解して 子の苦悩を親が理解して そんな分かち合いさえできれば
これはね、本当にいい親子になれると思うんです。
どうやったら いい分かち合いができるのかは
私にもわからないのですが
向き合って 語ることは まちがいなく分かち合いにつながる一歩だと思ってます
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