まぶたの病気 眼瞼下垂の患者支援活動をしている おーばです。11年前に第2子で「先天性眼瞼下垂」の子を産んだことがきっかけになりこの活動をするようになりましたが、
いまでは、さまざまな病気の「患者会」や「障害をもつこと」「障害以外にもある、無知からくる被差別」についてもさまざまに考えながら、支援活動をつづけています。
今日はtwitterで話題になった乙武さんの連続ツイートを読んだ私の感想です。
ということで まずは その内容をお読みいただきたいのですが
このブログをお読みいただく環境によっては、リンク先にいけない方もいらっしゃいますね?
「不幸」の烙印を押さないでというまとめになっていまして
・親がわが子の障害について負い目を感じ続けていると、その子も「自分は不幸の身に生まれたのだ」という意識を持つようになる
・障害があろうがおおらかな気持ちでわが子に接していることで、障害を重たい十字架と感じることなく生きていけるのではないか。乙武さんの親はそうだったし、乙武さんもみずからの障害をとくに悲観することなく生きてきた。
・どっちが正しいとはいえない。どっちも我が子を愛しているからこそのことだと思う。
・・・以下、障害者の親が辿るであろう、苦難の道に思いを巡らせ「親としての障害受容」が容易でないことにも言及しています。
『五体不満足』がベストセラーになったとき、私もこの本を読んでいます。(第1子出産後のことでした)乙武さんに初めて対面した彼のお母さんは、周囲の心配に反して「かわいい」と彼の出産を喜んだと 記されています。(今、手元に本がないので正確な描写ではないのですが)
乙武さんのおかあさんって凄いなと、単純に尊敬の気持ちで読みました。
その後出産した第2子に先天性眼瞼下垂があったのですが、私は最初の数ヶ月ずいぶん自分を責め、わが子に詫びたい気持ちでおりました。(そのことは最近 My Face誌のロングインタビューで、けっこう赤裸々に書いています)
『五体不満足』を読み返してみたのは 数年前になるでしょうか。
この頃には今と同じような 「支援活動」をする立場でした。
はたしてお母さんは本当にかわいいとしか思わなかったのだろうか。悲観したり、悩んだりしなかったのか。もし、乙武さんのお母さんが本当にそのとおりの言動、行動をしていたのだとしても。前向きであらねばならないという単純なロールモデルを提示するだけでは
そこになかなか到達できない大多数の親に「きっとじぶんだけが前向きになれないんだ」という気持ちを植えつけることになってしまう、と感じました。
障害児をもつ母親に、更なる苦しみとして与えられてしまったというケースには実際に私も直面しています。
大学院で私が研究したのも、「先天性疾患児を持つ親の受容過程」でした(今春修了したばかりです)。
そこで得られたのは(人それぞれの部分はあるにせよ)たいていの親は 最初はショックも受けるし、「なんで私の子が?」という否定的な気分にもなるし、抑うつ的になる人もいる。
家族や医療機関 患者会活動など周囲のサポートを受けることで その悩みの時期から時間をかけて 受容することができる というものでした。
つまり私の言いたいのは、「乙武さんのお母さんはある意味特例」ということ。・・・これは乙武さん個人やお母様を否定するんじゃないんですよ(念のため!)。
最初っから、なんのショックもなくわが子の障害を受け入れられる親は、たいへん珍しい。とても苦しみながら、時には自分を責める時期があってもそれは当然のこと。
時間をかけてすこしずつわが子の現状に向かい合うことができれば それでいいのです。
かつては 私のような名もなき個人の声がどこかにつながる術はありませんでした。障害を持った親は、一人ひとりが孤独の中で受容してゆかなければなりませんでした。
それが たとえばネット上の小さい取り組みなどでも、お互いの思いを共有しあうことで 親が前向きに障害に向き合うようになるためのお手伝いができるようになるとしたら それは障害を持つ本人にもプラスになる!ってそう思っています。
大場は 乙武さんの活動や発言にはいつも同意しているし、応援してます。これからも、どんどん発信して欲しい。そのうえで、私自身の立場はやっぱり「親」なので、親に向けた私なりのメッセージっていうのはどうしても伝えたいと思い、今回のブログ記事を書きました。
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2011年10月10日
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