眼瞼下垂の患者支援活動をしているおーばです。
シリーズ企画「眼瞼下垂のおーばが語る『整形』のおはなし」
解決編にはいりまして、
9回目の今日は、他人の『整形』が、こうもネタになるのはなぜだろう というお話をします。
…ある意味ショッキングなお話かもしれません。まあ、これがすべてとは申しません。
でも、まぎれもない事実を含んでいます。心理というか、人間の特性みたいなものも絡んできます。
だから「こういうものなんだ」と思っていると いくらか楽になるのかもしれません。
テレビをみていて、あ!この人『整形』した と気づくことはありますか?
…私はあります。
いつも眼瞼下垂のことばかり考えているからなのかもしれませんが
目の形の変化にけっこう鋭く気がついてしまう傾向があります。
自分では気がつかなくっても
週刊誌のネタなどで「あの芸能人の『整形』疑惑」とかいって
ご丁寧に 前後の写真を並べて 「ここが変わった!」と出されていることもあります。
気づく人は 気づいてしまうし
気づいた人は そのことを言いたくて仕方ないように思います。
だって、私も自分が気がついた「○○さんの目の形が違う話」を
誰かに話したくなっちゃうんです。まあ、たいていは思いとどまっていますが。
見た目の変化に気づいたり 回りの人と違う何かに気づいたときに
5歳くらいの幼児なら その場で相手にむかって遠慮なくそのことを言いますね。
親がついていたら「だめ!」そんなこといっちゃ!ってたしなめますが
5歳の子が「あれ?」と思うことは、ものの違いを認識するってことであって
とても正常な発達の過程をたどっているわけです。
でも「大人」は たとえばそれが相手が傷つきそうなことだと
それは言っちゃいけないことだという規範が備わるので、
相手にそのことを直接はなすことはないし、
子供にも「そんなこと言っちゃだめ!」と注意したりもするのです。
でも 心の中の「みーつけた!」という気持ちと
「ね!ね!そうだよね!」と誰かに言いたい気持ち。これは、実は大人にもあると思います。共感したい 同じ思いを分かち合いたいと書けばかっこいいのですが、
要は確認し合いたいのです。
だから
おとなになっても 仲間同士で寄って話になると そこにはいない誰かの「見た目」のことで、ひとしきり盛り上がってしまうことがあります。仲間の誰かの話であれば、セーブしてあまり悪口にならない程度にしようと思うけれど、たとえば芸能人や政治家など 自分の身近ではない誰かの話では、ちょっと辛らつなことも言っているかもしれません。井戸端会議は(特に女性にとっては)格好のストレス解消法です。
このとき 忘れたくないのは、話題に上っている当事者の気持ち。
ぜんぜん気にしない人もいらっしゃるかもしれないけれど
私自身もそうなのですが あまり自分の悪口って言われたくはありません。
ちょっとステキになったね!とか 格好良くなったねって言われれば 悪い気はしないけれど、『整形』したんじゃない?っていわれるのは、その気持ちの奥に、ネガティブな感情がみえてきます・・・。
ですから、噂話もほどほどに と思います。
今回は大人の対応について考えてみました。
でも 本当に辛いのは大人になる手前の人たちだと思います。
次回は思春期の皆さんに向けて 周囲の人たちへの対応について
おーば なりのアドバイスを書くことにいたします。
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2011年09月13日
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